このころは、高額納税者の名簿が公表されていた時代で、上岡さんは上位の常連だった。

 当時、引退して間もなかった元巨人のエース江川卓さんより、自分のほうが名簿で上位にランクしていたことを自慢したかったのだ。

 何かと阪神に結びつく話ばかりだった。

 そんな上岡さんの動きは注目されていた。ノックさんや西川きよしさんが政界に進出すると、

「次は上岡の番」

 との声がどこかしこから出ていた。実際にいつだったかの参院選で、野党系の政党から上岡さんの名前が具体的に出たことがあった。

 それについて上岡さんに直撃すると、

「政治な、ノックさんもきーぼー(西川きよしさん)も出てるからな。いろいろ聞こえてはくるんや」

 と思わせぶりな発言に聞こえた。

 その後、上岡さんが記者会見を開くことになり、いよいよかと、みんながその発言に注目すると、

「こういうのが夢やった。いかにも出馬するようにマイクがずらりと並んでいる」

 とうれしそうに語り始め、

「どこからも出馬してくれとはきていません。出馬するなら政治の勉強してますわ。ここで話している時間がない」

 と否定し、上岡さんの父親が2度、選挙に出たというエピソードを披露した。最後に、

「けど芸人として燃え尽きていなければ5年か10年したら出馬するかもね」

 と締めくくったことで、その後も大阪市長選でも名前が挙がるなど、しばらく上岡さんの進退をめぐる関心は尽きなかった。

 後日、改めて選挙への考えについて聞くと、

「ああやって話すとええ話題作りになって、キミら(マスコミ)もネタに事欠かないからええやろう」

 とうそとも本当とも取れるような話し方をされ、悩まされた。自らの「問題発言」を逆手にとってネタにすることもあり、実に計算された巧みな話題作りが上岡さんの真骨頂でもあった。

 2000年春、かねて宣言していた通り、上岡さんは芸能界から引退した。

次のページ 「寒い中、張り込みしなくていいよ」