元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 週刊朝日の最終号のテーマは「週刊朝日とわたし」。私もちょこっと在籍したダメ部員としてアンケートに答えさせて頂き、その縁で同号が我が家に送られてきた。

 いやー参りました。数日かけ舐めるように隅から隅まで読んだ。だってめちゃくちゃ面白かったのだ! 正直に告白すると週朝を手に取るのはものすごく久しぶりで(ごめんなさい)こんなに面白い雑誌だったかとショックを受けたが泣いても笑っても最終号。これじゃあ閉店が決まった店に最後だけ行列して「やめないで」とか言う輩である。ダメじゃん。日頃の行いは自分に返ってくる。

 特にうなったのはコラムの充実ぶりであった。その数の多さ、筆者と内容の多彩さ、いずれも偉ぶらぬ平易な語り口、そして高尚な話題も下世話な話題もいちいちなるほどと頷いてしまうのは、それぞれの筆者の品性と勇気と人への深い愛ゆえと思わされた。記事も面白かった。長く続く司馬遼シリーズも、雑誌の盛衰を追った安田浩一さんの大型連載も、和田靜香さんの東京ルポも一気に読んだ。そうそうジャーナリズムってこんなに面白いんだとワクワクした。

昭和の編集部を再現した表紙はまさに傑作。元表紙編集者として勝手に嬉しかったです(写真:本人提供)
昭和の編集部を再現した表紙はまさに傑作。元表紙編集者として勝手に嬉しかったです(写真:本人提供)

 この面白さは101年続いた雑誌が繋いできた財産であろうが、一方でこんなことも思った。この有無を言わせぬ迫力はやはり「最終号」という寂しくも特別な一号だったからではないか。これが最後となれば一番大事なことを書いておこうと多くの筆者が考えたに違いなく、その熱量と誠意がギュウギュウと詰まった一号ゆえに普通じゃないエネルギーを発していた気もするのだ。つまりは、「これで最後」というのはものすごいパワーの元なんじゃないかと実感したのである。

 で、これは案外大事なことなのではと思うのだ。

 これが最後かも。いつだってそう思って生きる。無論簡単ではない。特にぴちぴちの若者には困難すぎる想定であろう。だが人生後半戦を迎えあらゆる心身がガタついてくる身にはごく現実的な態度だ。良い教えを頂いた。感謝。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2023年6月19日号