いまは車窓からみているだけの日比谷の街。新人時代は昼食に先輩たちとよくいった。古い縁をたどることはほとんどしないが、来ればやはり懐かしい(撮影/狩野喜彦)
いまは車窓からみているだけの日比谷の街。新人時代は昼食に先輩たちとよくいった。古い縁をたどることはほとんどしないが、来ればやはり懐かしい(撮影/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年6月19日号の記事を紹介する。

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 1999年11月29日朝、DeNA初のサービスとなったネットオークション「ビッダーズ」が起動した。システム開発が進まず、予定よりも約1カ月遅れての誕生。しかも、ネットでの出品機能を欠いたままという、片肺飛行での離陸だ。

 それでも、東京都渋谷区神山町の本社内に、起業の苦労をともにした仲間たちから歓声が上がった。つい1カ月前に借りた小さなビルの2階の部屋。ここで、「ゴールに達したときの喜びがチーム全員に共有され、その力強い高揚感でシンプルにドライブされていく組織をつくろう」と、自らに言い聞かせる。

 この「全員での達成と喜び」は、大学を出てDeNAを起業するまでいた米コンサルタント大手マッキンゼーの日本支社で「恩人」と言える上司の千種忠昭さんにさせてもらった達成感に、重なる。南場智子さんがビジネスパーソンとしての『源流』として挙げる体験だ。

■「力を貸してくれ」2度目の退職を止めた言葉

 90年代初め、「私にはコンサルタントの仕事は無理だ」と、転職を決めた。退職は2度目。1度目は入社して2年が過ぎたとき、仕事に自信が持てずに米ハーバード大の大学院への留学に「逃亡」した。2度目は結果として7、8年、延期となる。

 転職先を決めたころ、千種さんに呼ばれて新しいコンサル案件を切り出され、退職の話をして断った。なぜ辞めるのかと問われ、失敗の数々、周囲にかけた迷惑などを説明する。30分ほど、千種さんは黙って聞いていた。こちらの話が終わると、言った。「わかった、辞めろ。辞めていいが、最後に俺の案件をやっていってくれ。せっかく獲った案件だ、力を貸してくれ」

 相手は、一般企業の役員のような「パートナー」。そんな人が「力を貸してくれ」と言う。引き留めるためか、辞めるにしても成功体験を持たせたいと思ってくれたのか、分からない。いずれにしても、失敗続きの自分を、大事な案件に誘ってくれた。「いや、やはり辞めます」とは、言えない。

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