「人事は、本当に難しい」と諦めかけたが、「諦めずに貫く」という祖母の言葉を思い出す。『源流』の力で浮かんだ案は、頑張った社員たちの異動希望先に空きがなくても、ともかくいかせてしまう。定員超過分は、翌年以降の人事で解消すればいい。そう説明すると、上司も社長も「面白いじゃないか」と賛成してくれた。

「頑張った」の基準は、つくらない。全国各地域の営業担当役員が推薦する計15人は、誰がみても「あの人なら」と納得する人が選ばれ、役員の好みが入る余地はない。社員たちが夢を持てるようにと、「ドリームチケット制度」と名付けた。虹色のチケットもつくり、本人へ渡している。

■大学テニス部のコーチ役で学ぶ 「傾聴」と「決断」

 北千住を訪れた日の朝、横浜市にある母校慶大の日吉キャンパスに寄り、蝮谷(まむしだに)と呼ぶ裏手にあるテニスコートにも立った。高校と大学で7年、体育会庭球部にいた。小さいころにテニスを始めた部員や全国の高校で活躍して入ってきた部員には及ばなかったが、珍しい経験をした。庭球部の女子部のコーチだ。

 監督に「2部リーグに落ちてしまった女子部を1部リーグへ復活させたいので、やってくれないか」と頼まれ、現役続行を諦めて引き受けた。女子部員は15人ほど。全国でも指折りで自負がある面々をまとめ、リーグ戦や個人戦への出場者を決めるのは大変だった。

 でも、やりがいがあった。彼女たちの話をきちんと聞く「傾聴」と、正しいと思ったことを実行に移す「決断」の体験と言え、ビジネスパーソンとして組織の全体最適を考えるマネジメントと個々人の可能性を大事にする人事の「予習」となる。

 思えば、中学受験を決めながら遊んでいた自分を連れ戻しにきた「おばあちゃん」が、繰り返してくれた言葉が、今日を生んだ。あのときに慶応へ入ろうと再挑戦していなければ、こんな経験もできなかった。

 蝮谷のテニスコートで、同期のキャプテンとも久しぶりに会った。ラケットも握り、ボールを打ってみた。ガットの張り方が昔とは一変していて、うまくいかない。でも、キャプテンと思い出を話しながら笑顔は絶えない。先々、時間ができたら、またテニスをやってみたい。初心者として習ってでも、挑戦したい。そう思った。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年5月29日号