慶大の体育会庭球部で4年生を迎えるとき、女子部のコーチをして組織運営を経験して、人の話をよく聞くことを身に付けた(撮影/狩野喜彦)
慶大の体育会庭球部で4年生を迎えるとき、女子部のコーチをして組織運営を経験して、人の話をよく聞くことを身に付けた(撮影/狩野喜彦)

 もう一つが、前号でも触れた「一心岩をも通す」だ。こちらでは「いいかい、何事をするにもまずは目標を高く持ち、一度やろうと決めたことは諦めずに貫くのだよ」と説かれた。その教えに最初に沿ったのが、中学2年のときだ。慶応中等部は不合格で、都内の別の中高一貫校へ進んでいた。それなりに楽しい日々を過ごしていたが、ふと、この言葉を思い出す。

 思い直し、高校で慶応に再挑戦することにした。両親は「いまからでは無理だ」と反対したものの、塾に通わせてくれた。猛勉強を重ねて慶応義塾高校に合格し、祖母の教えに応えた。10代になるまでに、繰り返し聞いた言葉。人に話したこともなかったが、心身に染み込み、その後のビジネスパーソン人生でも道標となる。

■代理店の社長もよく覚えていた一体感の回復

 最も力になったのが、2003年7月から2年9カ月務めた富山支店長のときだ。赴任したとき、支店の成績は全国に71あった支店で下から3番目。それが、挨拶回りを終えた1カ月後には、最下位にまで落ちていた。当然、部下たちは元気がなく、一体感も欠けていた。

 何か明快な目標を設定し、みんなで取り組んで、共通の成功体験を持たせればいい。成果が出るまでは、ともかくやり抜こう。後で気づけば、「おばあちゃん」の言葉通りの道だった。全員から仕事の現状などを聞き取った後、選んだ目標は、部下たちの誰もが素人同然で同じようにゼロからの出発となる「生命保険の販売」だ。全員で勉強を始め、本社の了解を得て本業の損害保険の営業は後回しにして、一点集中で半年やった。

 その年、生命保険の販売額は全支店で3位か4位になった。みんな自信がつき、会話も増えた。それが損保の営業にも好影響を与え、成績は全国で上から3分の1ほどにまで上がる。

 北千住へ『源流再訪』でいく1週間前、富山市へ出張した。久しぶりに、富山県でトップクラスの代理店の大洋保険サービスを経営している八木保博社長に会った。八木さんは当時の推移をよく覚えていて、「あの生保の一点販売で、支店の職員の目の色が変わった。それまで支店になかった一体感も、醸成された」と振り返っていた。

 富山支店長の前の人事課長の時代も、思い直してやり遂げたことがある。頑張った社員を望む部署へいかせてあげる人事制度の創設だ。当時、いかせてあげたくても空きがなく、希望に沿えない例が続いた。

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