舌の鈍感化もうれしいサプライズに(イラスト:サヲリブラウン)
舌の鈍感化もうれしいサプライズに(イラスト:サヲリブラウン)
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 作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。

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 私は納豆ときゅうりが大の苦手な子どもでした。

 日曜日になると両親はそろって食卓で納豆をかき混ぜ、苦手な臭いがダイニングに充満します。それだけでも憂鬱なのに、二人ともネバネバした茶色い豆粒を掻き込むように頬張り、箸だけでなく口の周りからも細い糸をフワーッと出している。親が蜘蛛になったようで、大変恐ろしい光景でした。

 きゅうりは、最初に虫が食べているのを見てしまったのが敗因です。臭いも苦手でした。あれは人間ではなく、虫が食べるものだ。なのに、納豆と同じく親はおいしそうに食べているではないか。恐ろしい。とにかく、親が虫になる食べものが苦手でした。映画「千と千尋の神隠し」で両親が豚になるシーンがありましたが、あれの何十年も前に、私は両親が虫になる場面を少なくとも週に1度は見ていたのです。納豆は避けられても、きゅうりは姿かたちを変えてどこにでも紛れ込んでいたので排除に苦労しました。

 それが、なんということでしょう。5年ほど前にラジオの企画で目の前に納豆が出され、苦手なことを伝えていなかったと悔いるも、なぜか突然「食べられるに違いない」と口に入れたらおいしかった。いまでは常食しています。

イラスト:サヲリブラウン
イラスト:サヲリブラウン

 きゅうりにも徐々に慣れ、ついに先日、1袋3本入りを自分で買い、味噌をつけて食べました。信じられません。納豆もきゅうりも、特別な克服作業はしてないので、自身の味覚の変化に驚きました。

 舌が複雑なうまみをとらえられるようになったのかと思いきや、大人になると味蕾の数がグンと減るからだという説を見つけてがっくり。要は、舌が鈍感になったから食べられるようになったわけです。

 ああ、でもこういうことって味覚以外でもあるかもしれない。子ども時代には激しく傷ついていた他人の不用意な言葉にも、傷つかなくなったわけではないが、大人になってからは明らかに傷が浅い。

 治りが早いのとも、様々な状況を鑑みられるようになったからとも違う鈍麻。同じ大きさの鉄球が当たっても、痛みの度合いが異なるような。その結果、食べられるものが増えたなんて、うれしいサプライズプレゼントです。

 鈍感になったら五感で味わえるものが少なくなるとばかり思っていたけれど、そうでもないのですね。加齢って、やってみないとわからないことばかりだわ。

○じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中

AERA 2023年5月29日号