ジャーナリストの田原総一朗さんは、小泉純一郎氏が3度目の総裁選への出馬を決意したエピソードを語る。
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この連載が始まって数年後、強烈な出来事が起きた。出来事の中心人物は小泉純一郎氏である。
当時の森喜朗首相がえひめ丸事件で辞意を表明すると、小泉氏は総裁選に出馬する意欲を示した。
当時、自民党政権で要職を歴任する中川秀直氏が私に、こう問うた。小泉氏は総裁選に2度出馬して連敗している。今度敗れれば、政治生命が終わる。このたびの出馬をどう思うか、というのである。
私はしばらく考えて、「自民党の歴代首相は田中派か、田中派の全面的な応援を得ている政治家たちだ。小泉氏がもしも、田中派と全面的に戦うとか、田中派をぶっつぶすと本気で言うのなら、支持してもいいよ」と答えた。「ただし、それを実際にやろうとしたら、政治生命が終わるか、暗殺されるかもしれないがね」
すると中川氏は「本当に支持するか」と念を押して、階段を下りていった。しばらくして、何と小泉氏を連れて上がってきた。そして、「本人の目の前で言ってほしい」と強く求めた。
私が中川氏に言ったことを繰り返し言うと、小泉氏は何と「やる。殺されてもやる」と答えた。
正直に言うと、私はこのときまでは、小泉氏にそれほどの強い思いを抱いたことはなかった。
経世会打倒を目指したYKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)には、何度かテレビ朝日の「サンデープロジェクト」に出演してもらったが、その3人の中で小泉氏は印象の薄い人物だと感じていた。しかし、このときから小泉氏はどんどん強烈になっていった。
そして、総裁選では「自民党をぶっ壊す」と言ってのけ、道路公団の民営化、そして郵政民営化までやってのけた。
その小泉氏が「次は彼しかいない」と強く推したのが安倍晋三氏である。安倍氏は、1度目の政権は1年で終わったが、2度目は憲政史上最長の内閣となった。