円熟期への道を進む著者の行く手を病魔が阻んだ。昨夏、癌のためホスピスで64年の生を終えた稲葉の、本書はその早世というべき死を惜しんでの復刊。女流文学賞受賞作(1992年)である。
舞台は各国各地で同時進行した反戦運動、学園闘争収束後の70年代。親を含むあらゆる強権に抵抗した若者は造反有理の旗を巻いた。そこには白々とした平時の世間があった。
からだの芯に残る叛逆の熾火がもたらす違和感に苦しみ、ココデハナイドコカを求めて得られぬ焦燥を酒と睡眠薬で散らすアルトサックスの鬼才阿部薫と鈴木いづみは同じ種族だった。作家・女優として自立していたにもかかわらず合わせ鏡さながらのこの男との出あいと結婚は一直線に二人を破滅に誘う。
薫の中毒死。せめぎ合う薫への愛と憎しみ。だがいづみはついにその不在を受け入れることができなかった。薫の魂が呼ぶ。眠る娘の傍らでの自死……。凄絶な異形の愛の伝説に輪郭を与え血肉化し得た稲葉の力を改めて思い知る。巻末の解説(小池真理子)が秀逸。まさに文学的弔辞である。
※週刊朝日 2015年3月6日号