高校時代に出会った妻のどこに惹かれたのかと尋ねると、知的なところ、気さくなところ、いわく言いがたいミステリアスなところ、とたくさんの面を挙げた。「とにかく惹かれる部分がありました。出会ったとたん、好きになったんです」。だが、妻は自分のどんなところに惹かれていると思うか、と尋ねると、ハッと驚いた。
「正直、考えたことがなかったですね」とレオは言った。グレースへの関心が深すぎて、彼女が自分をどう見ているかなど考えたことすらなかった。
自分自身以外の世界に集中すること、それがレオの人生だった。家族全員が揃ったときも、聞き役に徹してみんなを見守るのが心地いいのだと言っていた。家族同士の関係をじっくり観察し、自然にふるまうようすを眺め、自分と二人きりでいるときとの違いを見るのが楽しかった。家族の仲のよさが活気にあふれる家庭をつくっていた。「家族のおかげですばらしい人生を送れています」とレオは言った。
レオは幸運だった。好奇心を持ち、自分より他者に注意を向けることが当たり前のようにできた。誰にでもできることではない。意識的に努力しないとできない人もいる。生涯を通じて妻に注意を向けたレオだが、子どもたちとの関係では、常に積極的につながり続けたわけではない。子どもたちが家を出てからは話をする機会もどんどん減り、前よりも注意を向けなくなった。第二世代の被験者となった末娘のレイチェルは、三〇代半ばのとき、質問票の自由記述欄に次のように書いている。
父と母を心から愛しています。今年になって、両親と一緒にいる時間を意識的につくらなければならないと気づきました。とくに、父と話をするには。父は子どもたちとのコミュニケーションをいつも母にまかせてしまいます。今は、夜にじっくり話すようにしているので、父を前よりもずっと親しく感じています。
このコメントは、とても大切なことを教えてくれる。デマルコ家は仲のいい家族だった。だが、仲がいいだけでは十分ではないときもある。レイチェルが大人になると、両親とは以前ほど親密ではなくなった。レイチェルはそれが嫌だった。だから、積極的に両親との時間をつくり、父親との絆を取り戻すしかなかった。もともとコミュニケーション能力が高く、親密になる素質のある家族だったが、それでも、努力と計画は必要だった。親密さは自然に生まれるものではない。人生は忙しいものだ。あまりにも多くのことが次々と起こるため、つい受け身になり、流されるままに生きてしまう。レイチェルはこの流れに逆らい、再び両親とつながることを選んだ。