横浜時代の斎藤隆
横浜時代の斎藤隆
この記事の写真をすべて見る

 投手の分業制が進み、優勝争いに絡むチームは強力なリリーフ投手を揃えていることが多いが、毎日のように登板することもあって、長年にわたって活躍できる投手は一握りである。そういった事情もあってか、リリーフで結果を残した投手が先発に転向するケースも多く、今年は平良海馬(西武)、藤井皓哉、森唯斗(ともにソフトバンク)が本格的に先発となりまずまずの成績を残している。一方で松井裕樹(楽天)のように過去に先発転向に挑戦しながらも、結果を残せなかった例も少なくない。そこで今回は近年、先発とリリーフの両方で結果を残した名投手を振り返ってみたいと思う。

【写真】「想像を絶する」とコーチも酷評 プロ野球史に残る“ザル守備”を見せた選手がこちら

 2000年以降で先発からリリーフに転向して最も成功した投手と言えば上原浩治(元巨人など)になるだろう。ルーキーイヤーの1999年にいきなり20勝をマークするなど沢村賞、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振など数々のタイトルを獲得し、巨人のエースとして活躍。しかし2005年からは2年連続で二桁勝利を逃すと、2007年には抑えに転向していきなり32セーブを記録してチームのリーグ優勝に大きく貢献した(クライマックスシリーズでは2位の中日に敗退)。そしてリリーフ投手として大輪の花を咲かせるのはメジャー挑戦後である。

 メジャー移籍1年目の2009年に12試合に先発して2勝4敗と低迷したこともあって、翌年以降は完全にリリーフに転向。レッドソックスに移籍した2013年にはシーズン途中から抑えを任せられると、73試合に登板して21セーブ、13ホールド、防御率1.09という圧倒的な成績を残し、チームのワールドシリーズ優勝に大きく貢献したのだ。その後も抑え、中継ぎとして活躍し、最終的には日米通算で史上初となる100勝、100セーブ、100ホールド(134勝、128セーブ、104ホールド)を達成した。高校卒業後1年間は浪人生活を送り、巨人がポスティングシステムでの移籍を認めなかったためメジャーに挑戦したのは34歳になるシーズンと遅かったにもかかわらず、メジャー通算9年で防御率2.66、WHIP0.89という成績を残したのは見事という他ない。

著者プロフィールを見る
西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

西尾典文の記事一覧はこちら
次のページ
上原と同じく米国でリリーフとして大成したのは?