こんな感じで、ボクは、人見知りという性格だけじゃなく、人に対して「やたらと気を使ってしまう」という側面も持っている。というか、この側面はかなり強い。だから、人間関係は普通の人よりもかなり狭いし、友達の数も少ない。さらに、その中で、心が許せる人は……なんて絞っていったら、数人しかいない。
なぜ、ボクが、そこまで人に対して、異常に気を使ってしまうのか。
それは、ボクが人のことを簡単に「信用しない」からだと思う。
ちなみにだけど、もともとのボクは、そういう性格ではまったくなかった。人に対して警戒心を抱いたこともなければ、誰でもすぐに信用してしまうような真逆の人間だった。でも、年齢を重ねてきて、いろんなことを経験するうちに、だんだんと、今のように変わっていったの。
はっきりと自覚したのは、大人になってからだけど、子どものころの経験も、少なからず影響はしているだろうと思う。ボクは、昔から、この「高い声」のせいで、周囲から変な目で見られてしまうことが多かったんだよね。普通に生活していても、どうしても目立ってしまって、他者からの嫌な目線を感じることは少なくなかった。一時期は、女の子よりも高い声だったし、からかってくる人も当然いて、嫌な思いをしたことは何度もある。
だから、無意識に、人と自然に距離をとるというか、人のことを「よく見る」子どもだった。今、振り返ると、その時から、少人数の友達といるほうが気楽だった気がする。
その後、大人になってから、裏切られたり、だまされたりしたことが何度か続いた時期があった。なかでも、人を信用できなくなった決定的な出来事といえば、友達だと思っていた女の子にだまされたことかな。ボクは友達だと信じていたんだけど、どうやら、その女の子は、最初から、仕掛け人という役割で、ボクに近づいてきたみたい。
「一緒にご飯を食べよう」と誘われたから、ボクはただついて行っただけなんだけど、数日後、ある週刊誌に、ボクが「お持ち帰りに失敗した」というようなフェイク記事が出たんだよね。これは、かなりショックだった。けっこう泣いたし(笑)。その友達を信用していた分、あまりにつらくて、これから、一体どんなふうに人と付き合っていいのか、まったく分からなくなった。
気づけば、ボクは、人を見る時、まずは「疑い」から入るようになった。人間関係で、もう二度と傷つきたくないって思ったからね。あの瞬間を思い出すと、今でも、少しつらくなる。
でも、今にして思えば、ああいう経験ができて良かったかもしれないと思えたりもしている。