『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登 KADOKAWA
『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習 (角川新書)』廣末 登 KADOKAWA
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 「バイはマブテン、サンタクヨロクした」に「バイヒルナ」――。これはテキヤが古くから使い続けている専門用語で、それぞれ「商売は上首尾で沢山儲かった」、「売り上げをごまかすな」という意味である。

 今回紹介する書籍は、『テキヤの掟 祭りを担った文化、組織、慣習』(角川新書)だ。著者は犯罪社会学を専門とする学者の廣末 登氏。暴力団をはじめとした裏社会のリアルに迫った書籍を数多く出版している。廣末氏はテキヤに憧れ、実際に出店でバイ(商売のこと)をした経験もあるそうだ。

 「テキヤってヤクザでしょ」というイメージを持っている人は多いのではないだろうか? 同書を読むまで、実は私もそう思っていた。しかし読み終わってみるとそのイメージは大きく覆される。

「暴力団とテキヤを同一視することは誤りである。ヤクザは人気商売であり、地域密着型の『裏のサービス業』だが、テキヤは売る商品を持っている。顔が見えない商売ではなく、一つひとつの商品を対面で売って、100円、200円の利益で細々と商売している。だから、テキヤは暴力団や博徒を指して『稼業違い』という」(同書より)

 「ヤクザと全く関わりがない」といえば嘘になる。テキヤをやっていく上で最低限、暴力団と関わりが生じてしまうのは事実のようだ。商売人集団なのに「テキヤ=ヤクザ」と誤解されがちなのは、こういったことに要因があるのかもしれない。

 同書はテキヤ事務局の大幹部を務めた大和氏と、帳元の娘で人形師としてテキヤを継いだ宮田氏の話を軸に進む。大和氏はテキヤ稼業について以下のように語っている。

「正直、私はテキヤという稼業に誇りを持って歩んできました。暴力団や反社会的勢力などと思ったことは一度もない。何ら違法な手段で金銭を獲得したこともない。むしろ、露店という空間を演出し、その一時ではあるが、祭りを盛り上げ、社会に貢献してきたと思っている」(同書より)

 2010年、福岡県を皮切りに「暴力団排除条例(以下、暴排条例)」が全国で施行されたことによりテキヤたちは苦しめられることになる。この条例では暴力団を辞めて5年を経過しない者は銀行口座の開設や各種契約ができないことが定められていた。

 大和氏は2017年に妻の病気などを理由にテキヤ稼業を退いている。2012年、建設会社を経営するため建設業許可を願い出たところ、自治体から申請取り下げの連絡がきた。「テキヤはヤクザと同等」という認識から下された判断だ。大和氏をよく知る警視庁の人から妻名義で再申請するようアドバイスを受け、2014年に許可が下りる。しかし2020年、またもや暴排条例のために許可を取り消されてしまった。

 「ヤクザとテキヤを混同している人たちの誤解を解きたい」。廣末氏が同書を書いた一番の理由である。大和氏はこんなことも言われたという。

「ある議員からは『何も悪くなくても、テキヤ組織にいたことが悪』とまで言われ、権力の側の考え方を知ることになります」(同書より)

 テキヤならではの厳格なルール、専門用語、モノを売るときの口上――。テキヤは日本文化なのだと廣末氏は語る。大和氏と宮田氏が語るテキヤの商売人たちは(もちろん語っている本人たちも含め)、いずれも「人間力」に優れた魅力的な人ばかりだ。

 宮田氏が人形作りに不慣れな頃に作った、お世辞にもかわいいとは言えない人形を「私が連れて帰ります」と言って買ってくれたお客さん。ゴミ箱を漁る生活をしていたおじさんが真っ当に働くようになり「いつも見ていた」と言って人形を買いに来るエピソードなど、どこを切り取ってもドラマが作れるのではないかと思ってしまう。宮田氏が「人間交差点」と語るように、テキヤは一期一会の奇跡的な触れ合いの場でもあるのだ。

 同書を読み、小学生のころに友だちと神社のお祭りに行ったときのことを思い出した。出店の準備をしている強面のたこ焼き屋のおじさんに、「ワンカップ買ってきてくれない?」と頼まれお使いに行ったのだ。商店でワンカップを買って届けると、おじさんはアツアツのたこ焼きを一皿差し出した。何十年も経っているのに鮮明によみがえってきたテキヤの人との触れ合いであり、思い出だ。誰しも出店にまつわる思い出のひとつやふたつはあるのではないだろうか?

 我々はテキヤについてあまりにも無知だ。知らないことや偏見は何の罪もない人たちを意味もなく苦しめる。ぜひ同書を読んでテキヤのことを知ってほしい。日本文化のひとつとして守りたいと強く思った。