ジャーナリストの田原総一朗さんは、亡くなった大江健三郎さんへの思いを明かす。
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作家の大江健三郎さんが亡くなった。
私はかねて大江さんにインタビューしたいと強く望みながら、一度もできなかった。これまでインタビューしたいと思って実現できなかった人は大江さんだけである。偉大すぎてその度胸が持てなかったのだ。
私は、子どものころから小説家になりたい、いや、なるつもりであった。
家が貧しかったので、早稲田大学の第二文学部に入った。東京での生活費はもちろん、滋賀県彦根市の実家に仕送りする資金を得るためにも働いていた。何としても小説家になりたかったのだ。
そこで、いくつもの同人雑誌団体に入ったが、どの団体でも先輩たちから「努力というのは文才がある人間がすることで、田原君が頑張るのは徒労だ」と言われ、かなり自信を失っていた。そのころに大江さんの「飼育」を読むことになった。
大江さんは私と同学年で、東大在学中に文芸誌に「死者の奢(おご)り」を発表して、新世代の作家として注目を集めた。その翌年に「飼育」で芥川賞を受賞したのである。
「飼育」は当時、世界の知的エリートたちが打ち出していた「実存主義」を見事に作品化した小説であった。
もちろん高い文才の持ち主でもある。自分の文才に自信を失いつつあった私は、大江さんの「飼育」を読んで完全に挫折し、小説家になることをあきらめたのである。
大江さんは1994年にはノーベル文学賞を受賞している。だが、大江さんは小説家として素晴らしいことを成し遂げただけではない。
大江さんは創作活動だけではなく、社会に関わり続けてきた。反核、平和、護憲を訴え、東日本大震災以後は反原発を巡る集会などにも参加した。
2004年には、呼びかけ人の一人として、評論家の加藤周一さん、劇作家の井上ひさしさん、哲学者の鶴見俊輔さんらとともに「九条の会」を結成した。