エボラ出血熱は終息どころか感染者が増えるばかりだ。人類が滅びるとしたら感染症によってだろうと聞いたことがあるが、エボラ出血熱がそうなのか。
上橋菜穂子の『鹿の王』は、感染症や医学、生物学、さらには文化や国家間対立の問題についてまで視野に入れたファンタジー。児童文学のノーベル賞とも呼ばれる国際アンデルセン賞受賞第一作でもある。
主人公はヴァンとホッサルという二人の男だ。ヴァンは敗戦国の元戦士で、いまは奴隷。ホッサルは戦勝国の医師である。
ヴァンが鎖につながれて働く岩塩鉱山を野犬の群れが襲う。犬に噛まれた奴隷たちは次々と高熱に苦しんで死ぬ。ヴァンも噛まれるのだが、なぜか回復する。ヴァンはもうひとり生き延びた幼女とともに鉱山を脱出して逃亡する。
一方、野犬を媒介にした感染症が広がるのをおそれるホッサルは、ヴァンが免疫を持っていると推測する。人びとを病から救うにはヴァンが必要だ。ホッサルはヴァンの行方を追う。
なにしろ上下巻合わせて千百ページあまりもある長篇だ、物語は逃亡と追跡だけにとどまらない。ヴァンの国はなぜ滅びたのか、ホッサルの国はどのように他民族を支配するのか、周辺国との緊張なども語られる。支配される者、滅ぼされる者の哀しみや恨みなども。そもそも、野犬が媒介するこの伝染病はなぜ発生したのか。
ホッサルとその助手ミラルによって語られる感染症と病原体と免疫の話が興味深い。たとえば消化を助ける細菌のように、生物の体内で生きる微生物がある。病原菌のように、それが悪さをすることもあるが、もともと生物は他の生物と共生していくものなのだ。もちろん人間も。そして、人間の共同体もまた、異文化等と共存することで歴史を重ねていく。
この物語を読むと、他国を罵ったり異文化を排除しようとする者は、生命の歴史そのものに逆らおうとしているのだとわかる。
※週刊朝日 2014年10月31日号