青木淳悟は前衛的な作風で知られる現代文学作家のひとりである。その青木淳悟が、えっ、じじじ時代小説? 『男一代之改革』は江戸期を舞台にした異色の中編小説だ。
主人公はあの八代将軍・徳川吉宗の孫にして、「寛政の改革」を断行した松平定信。白河藩(現在は福島県)の藩主から、田沼意次が失脚した後の江戸に上り、老中の任についたのが天明7(1787)年。定信30歳のときだった。政権交代をはたし改革に当たったはよかったが、あまりの質素倹約の奨励に人々がヘキエキし「白河の清きに魚の住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」という狂歌にされたのは有名な話。
その定信には、じつはもうひとつの顔があった。源氏物語をこよなく愛する教養人、風流人としての顔である。源氏の「夕顔巻」に心を奪われ、16歳にして「心あてに見し夕顔の花ちりて、尋ねぞ迷ふたそがれの宿」ってな歌まで詠んだほど。物語全巻を自ら7度も筆写したほど、彼は「源氏」に私淑していた。
というわけで小説は、定信の人生と光源氏の女性遍歴、徳川期と平安朝を行きつ戻りつしながら進行する。
京の大火に際し、為政者として自ら京に赴くも、なんたってそこは憧れの地。<日本の伝統文化への興味は尽きず、あたかも千年の過去に旅しているかのようであった>。
エンタメ系の時代小説のような派手な展開はないものの、史実を知った上で読むと、随所でじわりとしたおかしさが込み上げる。
6年で老中職を退いた定信は『花月草紙』なる随筆を残した。そこで定信は本居宣長の源氏解釈に「何がもののあはれじゃ」とケンカを売っている。<『源氏』は無理でも『枕草子』をヤリタカッタ>定信。やがて文化文政時代に入り「寛政の改革」は水泡に帰すも、楽翁を名乗る定信は文化人サロンの主としての趣味三昧。「男一代」の「改革」とは何だったのか!? 武より文、公より私、権力より趣味。いずれの御時にもいえる歴史の真実かも。
※週刊朝日 2014年8月29日号