えっ、これは評伝なの? 誰か特定のモデルがいるの? そんな錯覚を起こしそうになるのが小手鞠るい『アップルソング』。女性報道写真家の一生を描いた長編小説だ。
主人公の鳥飼茉莉江は先の戦争のさなかに生まれ、1945年6月の岡山空襲のガレキの中から助け出され、10歳のとき、母とともに氷川丸でシアトルに渡った。だが母は自殺。16歳でハイスクールを中退し、単身ニューヨークに出た彼女は、ウェートレスやホテルの客室清掃のバイトをしつつ、やがてカメラに出会って波瀾万丈の人生を歩むのだ。
一方、資料を集め、ゆかりの人々を訪ね歩き、その茉莉江の足跡を追っているのが語り手の「私」こと美和子。1976年生まれの美和子が茉莉江と出会ったのは2001年9月11日のニューヨークだった。が、それはほんの一瞬の出来事で……。
戦後史をこれほど真正面から描いた小説って、ちょっと最近なかった気がするな。なにせ新宿駅西口の反戦フォーク集会(69年)は出てくるわ、連合赤軍によるあさま山荘事件(72年)は出てくるわ、丸の内の三菱重工業爆破事件(74年)は出てくるわ。御巣鷹山の日航機墜落事故(85年)も、ベルリンの壁崩壊(89年)も。単なる背景としてではない。それらの現場すべてに主人公がいたって設定なんだから!
報道写真家という職業の女性を主人公に選んだことで可能になった描き方。茉莉江は考える。<私は知ってしまった。この世界は、美しくないもので満たされている。この世界は、美しくない。醜い。むごい。残酷で冷酷だ。非情で非業だ。私は、この醜い世界を撮りたい>
ホンモノの報道写真家が読んだら「そんなヒロイックな仕事じゃないっすよ」というかもしれない。だけど、美しい国とやらを標榜する首相があやしげな論理を振り回している今日、みんな、こういうのを読んで戦後の歴史を少し勉強するといいのよ。ドキドキの恋愛小説の部分もあり。映画化熱烈希望です。
※週刊朝日 2014年8月8日号
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