
「兄」として接していた叔父の影響もあって、エリックは物心がついたころから、さまざまな形で音楽の魅力に触れていた。また、生い立ちの秘密と複雑な家庭環境を知ったのは、いわゆる「ロックンロール誕生」とほぼ同時期である。彼もまたその熱気を感じとったはずであり、やがてそれが、ブルース音楽への興味と関心につながっていくこととなった。はっきりと意識していたかどうかはわからないが、音楽は、群れることを好まなかったという少年にとってある種の救いでもあったようだ。そして、ごく自然な流れとして、エリックはギターを手にする。
最初のギターは、1958年、13歳の時に祖父母に買ってもらった中古のアコースティック・ギターだった。2本目もアコースティック。この時期、独学でブルースやロックンロールの基本をマスターした彼は、17歳のとき、最初のエレクトリック・ギター(ギブソンやグレッチを意識した安価モデル)を入手。その後いくつかのグループに参加して腕を磨いていったエリックは、63年秋、アメリカの黒人音楽を追究するバンド、ザ・ヤードバーズに迎えられている。ギターを弾きはじめてからわずか数年で、ローリング・ストーンズと比較されることも多かった将来性豊かなバンドのリード・ギタリストとなったのだ。
その直後の12月、ヤードバーズは、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァルの一員として渡欧したブルースマン、サニー・ボーイ・ウィリアムソン(ライス・ミラー)のロンドン公演でバックを務めている。そこで残された音源が65年暮れにアルバム化されていて、録音順でいうと、結果的にこれがクラプトン初の公式作品となった(ジャケットには、彼の脱退後、ジェフ・ベック在籍時の写真が使われているのだが)。
ロンドンの音楽シーンでは早くも注目の存在となってはいたものの、なんといっても、彼はまだ18歳。緊張と興奮は、半端なものではなかったはずだ。アルバム全体から、ベーシックなプレイで懸命に伝説的ブルースマンのバックを務めようとしている様子が伝わってくるが、いくつかの曲で個性的なソロも聞かせている。とりわけ《23アワーズ・トゥー・ロング》は、完成の域に近づいているという印象だ。
クラプトンもそれなりの手応えを得ていたはずだが、このライヴに関しては見逃すことのできない、興味深いエピソードが残されていた。
65年春に53歳で亡くなる少し前、サニー・ボーイは、彼が活動拠点としていたアーカンソー州ヘレナにやって来た若い白人バンドとセッションしたあと、こう語ったという。「ロンドンで俺のバックに雇われた連中はブルースが大好きみたいだったけど、演奏はひどかった。お前たちは、いい」
じつは、南部出身のドラマーと4人のカナダ人から成るこのバンドこそが、数年後、激しくクラプトンを衝き動かすこととなるザ・バンドの前身だったのだ。[次回6/11(水)更新予定]