『川のほとりに立つ者は』寺地 はるな 双葉社
『川のほとりに立つ者は』寺地 はるな 双葉社
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 BOOKSTANDがお届けする「本屋大賞2023」ノミネート全10作の紹介。今回取り上げるのは、寺地はるな(てらち・はるな)著『川のほとりに立つ者は』です。

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 主人公は大阪府内のカフェ「クロシェット」の店長を務める29歳の原田清瀬。新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、恋人の松木圭太が隠し事をしていたことから、ふたりはすっかり疎遠となっていました。そんなある日、清瀬のもとに病院から「松木が怪我をして救急車で運ばれた」と連絡が入ります。歩道橋の上で男性と殴り合いのケンカをして階段を転げ落ち、互いに意識が戻らない状態だというのです。

 病院に駆け付けた清瀬は、一緒に倒れていた相手が松木の小中学校時代からの親友・岩井 樹であることを知ります。優しくて素直でまっとうな人だと思っていた松木が暴力沙汰だなんて、と清瀬には到底信じられないものの、「でも――ほんとうにそう言い切ってしまっていいのだろうか」との思いも湧きあがります。松木はいつもLINEがなかなか既読にならなかったり、ときには一週間以上連絡がとれなかったり、清瀬の質問にきちんと答えなかったりすることがあったからです。

 その後、松木のスマホを探そうと彼の部屋に入った清瀬は、三冊のノートを見つけます。二冊には子どものような拙い字、そして一冊には手紙の下書きのような文章。いったいこれらは何を意味するのか、松木はいったい何を隠していたのか。ノートを読み、清瀬は真実を知ることになります。

 作中、清瀬が「わたしはいったい、松木のことをどれだけ知っているんだろう?」と自問自答する場面があります。読者は清瀬とともにその謎を追いながら、自分自身についても振り返るようになるかもしれません。「自分は誰かのことをどれだけ理解できているのだろう」と――。

 たとえば、字が壊滅的に下手な人を見て「なぜもっとうまく書けるよう練習しないのだろう?」と呆れたり、仕事ができない人に対して「使えない人」という評価で切り捨てたり、そうした感情を私たちは当然のものとしていないでしょうか。「自分ができたのだから、相手もできて当たり前」「もしもできないのならば、努力して直すべきだ」という傲慢さは、誰の心にも少なからず眠っているものでしょう。さらに怖いのは、それに対して無意識・無自覚であること。相手の背景まで目をこらすことなく、相手を知ったつもりでいることがどれだけ多いかを知り、清瀬とともに私たちもまた愕然とするかもしれません。

 同書のタイトルは、作中に出てくる架空の海外小説の中の一節「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」に由来しています。川のほとりから水底の石の数を知ることはできませんが、そこにどんな石があるのか想像することはできます。それこそが相手を理解することへの希望につながると、この作品は教えてくれることでしょう。

 『小説推理』に連載されていた、ミステリとしての要素も併せ持つ同書。謎を解いていくドキドキ・ハラハラ感がありながら、読後にはさわやかな感動が胸に広がる一作になっています。

[文・鷺ノ宮やよい]