若い頃、医療の力に魅せられたことがあった。亡国病といわれた結核をはじめとして感染症が次々に治るようになり、小児白血病の多くは治り、尿毒症といわれ致死的な腎不全が人工透析を受ければ何年も延命できるようになった時代である。
その楽観的医療観は、30年以上もまえに長野県佐久市で当時「寝たきり老人、ぼけ老人」と呼ばれた人たちの宅診事業に加わることにより、微塵に打ち砕かれてしまった。狭い視野で患者を診る病院と違い、そこでは生・老・病・死の道筋が地平に至るまで続くのが一望に見えたのである。
そこは広義の人生の終わりの段階であり、医療の効率よりも生きざまが問われる領域であった。病や障害と共に生き、涙を流しながら笑ったり、歌ったりする。医師は、看護や介護の力に、一目も二目も置きながら患者と家族を満足させることを考える。しかもそこは、常に好奇心をそそる不思議な現象に満ちていた。
本書のエッセイ「触ることの不思議」は、認知症の老婆の肩にそっと手を置くだけで泣き出された経験に端を発する。
信じがたいことだが、私たちの世界認識はほとんどが無意識によってなされている。意識されるのはごくわずかだ。環境情報の100万分の1しか意識されないという。
赤子は母の胸に抱かれて乳を飲み、笑顔にあやされ、優しい声を聴く体験を通じて、安全な世界につながっているという世界認識を育てていく。しかもこの認識は、無意識の深層に保持されており、意識のレベルで理性的に言語化されるものではない。グループを作り生活する哺乳動物に共通するのであろう。
認知症高齢者の不安と悲哀は、記憶を中心とした認知能力の低下により、時間・場所・自分がなぜそこにいるのか、という物理的世界とのつながりを失うばかりか、仲間たちの住む安心して生きられる世界とのつながりを失うことから生ずるように見える。
そうだとすれば、彼らが世界とのつながりを取り戻すには、自身で理性を働かせて世界に働きかけることが不可能である以上、世界が彼らに働きかける必要がある。
その基本的な行為は、母が赤子を抱きしめ、いつも優しく語りかけるような、視覚、聴覚、触覚を通した情報の提供だろう。しかもそれは概念思考を行う理性を通じてではなく、「好き・心地よい」という情動に直接訴えるものでなければならない。
しかもそこに生じる情動が必ずしも意識に上らないのは、エッセイに引用したアメリカの心理学者たちが観察している。さりげなく腕を触られた学生が、それに気付かないままに触った司書に好意を抱くのだ。とすれば、肩に手を置かれただけで嗚咽しはじめる認知症の老婆の場合、無意識領域で働く情動の激しさが察せられよう。
「本当の健康」は、世俗的な健康観に疑問を呈したエッセイでもある。人間とは不思議な生物で、病気を持っていても健康だと思うことは可能である。
高齢者の健康診断をしていると、高血圧、痛風などと病名を記した後、現在の状態という項目に「健康」と記してあるのは普通に見られる。病気とさしたる苦痛なく共存しているときには、「健康」である。
あるアメリカの医療人類学者は、日系、アングロサクソン系、計50人の進行がんの患者のうち49人までが「自分は健康である」といったので「人は健康なままに死ぬことが可能だ」と論じた。
認知症になると健康は失われるのか? 沖縄や東南アジアの農村で見た限りでは必ずしもそうではない。認知能力が落ちてもその住む環境との調和が失われず、認知能力の衰えをそのまま許容してくれる社会では健康人のように生きていく例を見てきている。
678人の修道女の人生と脳を調べた「ナン・スタディ」では、アルツハイマー病変が最も顕著に現れた脳であっても、3分の1は生前病気があるとは思われなかった。
では病苦が激しい時には健康は失われるのか。脊椎カリエスを病んだ子規は苦痛のあまり泣き叫んだ。しかし彼の残した句を読むかぎり、精神の健康さを感ぜざるを得ない。
誰かが健康を「苦痛の中の自由、情念の中の自由、我執の中の自由」と定義したが、終末期に近い高齢者にそのような意味での「健康」を感じることがままある。高齢者の医療、広い意味での看取りの医療に携わることが、私にとっての恩寵であるのを感ずる時である。