新潮新人賞を受賞した小山田浩子のデビュー作『工場』は、巨大すぎて全貌が把握できない工場で働く若者たちをシュールな逸話をまじえて描いた秀作で、彼女は絶対「次に来る」作家だと思っていた。そして早くもキターッ!! 今期芥川賞受賞作『穴』は工場ならぬ家を舞台にした小山田ワールド全開の作品である。
 語り手の「私」こと松浦あさひは、夫の転勤にともなって、夫の実家の隣に越してきた。なにかと世話を焼きたがる夫の母。専業主婦としての退屈な日常。そして、ある日、川の土手で奇妙な「黒い獣」を追いかけて草むらに足を踏み入れた途端……。
〈私は穴に落ちた。脚からきれいに落ち、そのまますとんと穴の底に両足がついた。私は唖然として、唐突に私の視線よりもずっと高くなった草を見上げた。獣の尻は完全にその間に隠れ、しばらくがさがさと音がしていたがほどなく止んだ〉
 おっと、まるで『不思議の国のアリス』。とはいえ白ウサギを追いかけて穴に落ちたアリスがそのまま不思議の国にワープしてしまったのに対し、彼女が落ちたのは胸の高さくらいの穴。隣家の主婦に引っ張り上げられ日常の側に帰ってくる。
 後日「私」は夫の兄だと名乗る人物に出くわす。彼はもう20年も庭の物置の中で暮らしてきたという。〈今風に言うとヒキコモリとかニートとかそういう類ですよ〉
 穴に落ちたと語る「私」に〈馬鹿だね〉と彼はいった。〈何だい、お嫁さんは不思議の国のアリスなの?〉。そしてもう一言。〈僕ぁ穴に落ちた後の方の兎ですよ〉
 動物変身譚は昔からある物語のパターンで、近代小説においてもカフカ『変身』はセールスマンが毒虫に、中島敦『山月記』は詩人に憧れる官吏が虎になるお話だった。デビュー作でも工場に巣くう労働者のなれの果てのような鳥や動物たちを描き出した小山田浩子。もしかして寓話? いーえ。現代社会にはね、穴があっちこっちに開いてるの。あなたも穴の中で暮らしてるのかもよっ。

週刊朝日 2014年2月14日号