もちろん、そうした側面もあるが、本書を読むと違った一面も浮かび上がる。

 普通の人は自分がまさか殺されるとは思わない。当時の日本人の多くは、殺人という非日常が自分たちの生活と隣り合わせだとは想像できなかったはずだ。そして想像できないことは防ぎようもない。

 しかし、最悪の事態を防ぐ機会は幾度もあったことがわかる。

 被害者たちが外出時にちょっとしたトラブルを起こしたとき誰かが警察に通報していたら、被害者たちの様子を不審に思っていた親族がもう一歩踏み込んでいたら、被害者たちの様子のおかしさに気づいていた職場や学校が介入していたら……。密室殺人の現場となったマンションではとてつもない異臭がしていたのに、階下の住人は解体作業の不気味な音を聞いていたのに……。

 だが、残念ながら、誰も動かなかった。職場の人は同僚がまさか毎日のように虐待を受けているとは思わないし、同じマンションの住人は階上の一室で子どもが殺人や遺体の解体を手伝わされているとは想像できるはずもなかった。

 ルールが通じない相手に会話は成立しない。だからこそ、私たちは、ルールが通じない人たちのふるまいを知る必要がある。この事件以外でも、首謀者とされる男の毒牙にかかり、金をむしり取られ虐待された者たちがいる。世間体も気にせず、逃げた者だけが救われている。

「そんな大げさな」と笑う人もいるだろう。だが、事件発覚から20年たち、世の中の分断は確実に進んでいる。理解しづらい事件が多くなっていることは、ルールが通じない相手が増えていることの裏返しではないか。「話せばわかる」はいつの時代も幻想なのだろう。

週刊朝日  2023年3月17日号

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