ビリー・ホリデー
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エディット・ピアフ
エイミー・ワインハウス
FRED PERRY×AMY WINEHOUSE ワンピース

 暑かったり急に涼しかったり、各地で雨が降りすぎたり、降らなさすぎたりですが、皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか。

 今日は、私の中の『三大ディーバ』についてお話ししようと思います。
 私はアルト・サックスの奏者ですが、どうにも歌手に憧れが強いのです。
 いつか、アドリブ・ソロはそこそこに、テーマを歌うことに重きを置いたアルバムを作ってみたい、と思っていました。
 それが叶ったのが、『ANSWER』というアルバムです。なにか機会があれば聴いてみて下さい。

…と宣伝はもういいですね。

 早速『三大ディーバ』について。まず1人目。

『ビリー・ホリデー』
 母子家庭の貧しい幼少を過ごしたようでしたが、ビリー本人の書いた自叙伝『レディ・シングス・ザ・ブルース』には曖昧な部分が多々あるとわかっていて、幼少期の事は定かではないようです。
 ですが、禁酒法時代のニューヨークで14歳にして違法ナイトクラブで歌っていたとなれば、箱入り娘ではないことはわかります。
 ビリーのこの行動は、私が14歳のときに読んだ『奇妙な果実』に記されていましたが、当時どうやったらプロになれるか悩んでいた私には目から鱗でした。

「そっか!ジャズクラブに行っちゃえばいいんだ!」と。

 大げさに言うと、彼女のこの行動がなければ私はジャズ・ミュージシャンにはなっていなかったかも知れないのです。
《Lover Man》《Don't Explain》など数々の代表曲がありますが、子どもながらにショックを受け、さらには「こんな時代があったのだ」と後世に伝えなくてはならない重要な曲が《Strange Fruit》です。

Southern trees bear strange fruit
南部の木には奇妙な果実が実ります

Blood on the leaves and blood at the root
それは葉に血がついて、血は根までしたたって

Black body swinging in the southern breez
暑い風にゆらめく黒い体

Strange fruit hanging from the poplar trees
ポプラに吊るされたそれは、まるで奇妙な果実に見えました。

 初めてこの曲を聴いたときは、その圧倒的な暗さに、必死に辞書をひいたのを思い出します。
 ビリー・ホリデーの魅力とは、その圧倒的な暗さにあると思っています。
 音域が狭く、黒人歌手にありがちなスモーキーでバリバリスキャットをするでもなく、ひたすらに淡々と歌って、その声は暗く悲しい何かを含んだようにくぐもっていて。後ろ髪を引かれるような声。
 それから、ねっとりとした他にはない個性的な歌い回しには参ります。その歌い回しが大好きでビリー・ホリデー・トリビュートの『Gloomy Sunday』というアルバムを作ったほどです。さりげなく宣伝しましたが、本当にあの暗さにはいつも救われます。

 絶頂期を迎えたビリーは、だんだんと麻薬と酒に溺れてゆき、44歳の若さでこの世を去りました。
 死後、長年彼女の伴奏者であったマル・ウォルドロンが、歌うことなくして死んでしまったビリーの最後の作詞曲『Left Alone』を作りました。

「帰る場所もなくて、私はいつも一人」という内容が最後の作詞と思うと、心苦しいものがあります。

『エディット・ピアフ』
 1915年生まれ。ピアフの幼少期は曖昧なところが多くよくわかっていません。が、私はパリの貧困地区の娼婦宿で育って、そこで姐さん方に可愛がられ、歌を歌っていたという説を信じたいですね。それってなんか雰囲気がばっちりだから。
 それから、映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』がすごい。主演女優のマリオン・コティヤールがとにかくピアフに激似。作中では、ピアフは頭痛に悩まされてホイホイと処方されるがまま使っていたモルヒネの中毒となり、四十代半ばにして老婆の様な姿になってゆくのですが、普段はとても綺麗な女優さんがもう完全に老婆の姿に変わってゆくんです。特殊メイクな感じもないし、一体アレはどうなっているんでしょうか…。女優魂ここにあり、といった作品は必見です。

 ピアフの勝気で力強い声は、私には、本当はすごく神経質で神経が細くて、不安だらけなのを隠すために張り上げているように聞こえます。

 愛されることに固執して、愛することにも固執して、明日はもうこないのだから体いっぱいに愛そう、という勢いで歌われる《愛の讃歌》

「昼も夜もつきまとうこの旋律 いつかこの旋律が私を狂わせるだろう。」

と自身の行く末を暗示したような歌詞を、どこか「そうはなるまい」と憤っているような、どこかでは「もう委ねるほかない」と諦めているような、どこかでは「本当は不安で怖くてたまらない」と歌い上げる《パダン・パダン》

 ピアフは47歳で亡くなりました。

 「小さなスズメ」との愛称通り、145センチと小柄だった彼女には、全てが重過ぎたのかも知れません。

『エイミー・ワインハウス』
 1983年ミドルセックス州エンフィールドに生まれる。
 幼少期のことは、あまり語られていませんが2008年のグラミー賞を取る瞬間のライブ映像から、とてもお母さんに愛されたお嬢さんだったことが伺えます。
 とにかく、薬物やアルコールのスキャンダルが多い人で、ゴシップ誌の類いで彼女の名前を見ない月はなかったように思います。
 最初の頃は比較的ふくよかなお嬢さんだったのが、きゅうにガリガリのタトゥーだらけの姿に変わります。
 それが、マスコミから「太い」と書かれたのが原因と言われたり、薬物中毒の夫の影響だとか言われていますが、今となってはわかる術もありません。

 また、エイミーはジャズもとても好きだったらしく、ファーストアルバム『FRANK』では、私の師匠であるジェームス・ムーディー師の《Moody's mood for love》などのスタンダード曲がいくつか入っています。2010年にトニー・ベレットと《Body and Soul》をデュエットしているのですが、これがまたすごい。動画で見ると、いつものダラっとしたエイミーではなく、緊張している可愛い姿が見られます。

 また、痩せてしまったのはかわいそうだけれど、私は彼女のそのぶっ壊れたバービー人形のような容姿も、服のセンスも、特徴的なヘアスタイルも大好きでした。

 それから、彼女は売れに売れても舞台装飾はクラシックなままで、バンド・メンバーも小規模なままの渋いところも大好きでした。

 生涯を終えるまで、元夫との再婚を望んでいたり、シラフの時はとても気さくだったとのインタビュー記事があったり、とても愛にあふれた寂しがりやさんだったのでは、と勝手に。

 リアルタイムで魔の27歳で死ぬスターはエイミーが初めてだったので、本当にショックでした。

 たった三枚のアルバムを残して、もう新しく録音されることはないと思うと寂しいばかりです。

 皆様もビリー・ホリデー、エディット・ピアフ、エイミー・ワインハウス、聴いたことがなかったから聴いてみてくださいね。

 ではでは、また。[次回10/7(月)更新予定]

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矢野沙織 Live Schedule

9月13日(金) 福岡 中州JAZZ 2013
9月14日(土) 茨城 東海文化センター
9月20日(金) 東京 目黒ブルースアレイジャパン
9月21日(土) 東京 西新井カフェクレール
10月24(木) 大阪 ミスターケリーズ
10月26・27(土・日)名古屋 スターアイズ "矢野沙織バースデーライブ"
11月16日(土) 横浜 横浜市栄区民文化センターリリス

詳細はこちらより
http://www.yanosaori.com/live/
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