食堂の窓越しに見るのは、東西中農場の3区画のべ約40平方メートル。でも実測値は問題ではない。ここは著者の壺中天(こちゅうてん)。誰が何といおうと著者の眼前には農場の景色が広がっている。東京西郊、久我山の地で耕耘・施肥・播種・育成・収穫を骨子とする農を重ねた十余年の実績を踏まえ月刊誌に連載(2011~13年)した農場だより18話の集成が本書である。
 自家消費が目的だから効率は考えない。あれも食べたいこれも食べたいと葉物、根菜、豆……、何でも植える。現実は壺中ではない露地の作業だから秋霜烈日にもさらされるが、苦労譚にはならない。多品種少量栽培の楽しさと困難を伝える八十翁の筆致は、飄々。耕耘機やシビンを巡る記述を含め巧まずして笑いをとる練達のエッセイで知られる著者の面目躍如だが、第18話にはしみじみとする。
 農との関わりにまつわるはるかな記憶、亡父の像が立ち上がる。あの敗戦前後の食糧難を自給自足で乗り切るべく家庭菜園を構想、実務に著者を動員した父なる人。『日本文壇史』の作家伊藤整である。

週刊朝日 2013年7月19日号

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