ジーコをゲストに招いたイスラエル・パレスチナ・日本の子どもたちによる親善サッカー大会(奥が小泉)
ジーコをゲストに招いたイスラエル・パレスチナ・日本の子どもたちによる親善サッカー大会(奥が小泉)

 93年にはJリーグが開幕しサッカー人気が急騰したが、ここにも小泉たちは関わった。開幕前のユニホームお披露目パレードで、各チームのロゴのフラッグをたなびかせながら登場したのはローラースケートを履いた小泉のスタッフだった。

「それを見ていたコシノジュンコさんが気に入ってくれてね。パリコレ用の作品発表会でのローラースケート演出を頼まれました」

■冬の時代を機にスケボー発展へ

 順風満帆と思われるが、当の小泉が「冬の時代」と呼ぶ時期がやってくる。東京ドームシティが老朽化で2002年に取り壊されることになり、小泉のホームグラウンドのローラースケート場もなくなることが決まったのだ。行き場がなくなる……危機感を持った小泉は「生き延びるため」、空き倉庫を活用してスケートボード利用をメインにした「X-DOMEスケートパーク」を神奈川・海老名につくり、RIT時代のスタッフと共に指導に明け暮れた。

 これが結果として日本のスケートボード文化を変えることになったと、のちに東京2020組織委員会スケートボード・スポーツマネージャーを務めることになる村上仁が解説してくれた。

「ここは日本でのスケートボードの先駆けとなる施設で、全国から愛好者がやってきました。かつて日本のスケートボードは若い男の子がやるもの、でしたが、ここには子どもたちが親と一緒に来て、親子でやるスポーツになっていき、競技者層が広がっていったのです」

 後にスケートボード日本代表となる子どもも来ていたという。

 ところで、小泉にはローラースケート人脈とは全く別のJETRO(日本貿易振興機構)の知り合いがいて、その縁でイスラエルとパレスチナと日本の子どもたちの友好を育む活動に関わってきた。最初は03年8月、第1回イスラエル・パレスチナ・日本の子どもたちによる親善サッカー大会の開催で、ジーコがゲストとして参加。翌年にはNPO法人「ピース・キッズ・サッカー」(現「ピース・フィールド・ジャパン」)が設立され、理事となった小泉は現在、副理事長を務めている。15年には、その活動の一環で、国連の協力を得てイスラエルとパレスチナ双方を訪れ、ローラースケートの体験会を催した。

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