グリフィスと和解する小泉
グリフィスと和解する小泉

 これが評価され、彼らは東京ディズニーランドのキャストにもなった。

「僕たちは、派手に盛り上げたいときに呼ばれました」と語るYuukiらRITで小泉の薫陶を受けたスタッフは、以後も大きなイベントやアミューズメントパークに呼ばれていくことになる。

 87年には小泉にとって大きな出会いがあった。

 ジャニーズ事務所の光GENJIがミュージカル「スターライトエクスプレス」のプロモーションキャンペーンでデビューするにあたり、プロデュース・演出を依頼され、ジャニー喜多川に紹介されたのだ。

「ジャニーさんに『あー、ローラーゲームの小泉さんね。ぜひぜひ』と言っていただき、光GENJIに技術指導しました。3カ月で、ということで、ジュニアの子たちも合わせて毎日約50人への指導でしたから、RITスタッフのYuukiや植木旦たちにも手伝ってもらいました。RITでローラーダンスパフォーマンスを追求していたからこそ、ジャニーさんが求めていた“歌って踊って滑れる”演出に応えることができたんです」(小泉)

 当時、後楽園の北田英壹から、同年の都民の日(10月1日)の後楽園ゆうえんち無料開放に「光GENJIを呼べないか」と相談され、ジャニー喜多川に頼むと、二つ返事で受けてくれた。当日、野外ステージは1500人収容なのに、遊園地の周りをグルッと囲む行列ができてしまった。北田によれば、こんな行列は、このときだけ。

■ダンスとの融合 企画力にも評価

 北田は後の東京ドームの専務だが、当時は興行企画部に属する若手。総支配人から「警備はどうするんだ」と言われ、クビにならないか不安だったという。総支配人は、一般客の無料開放を中止して対応する決断をした。行列の長さから考えて3回はミニコンサートをしなければならない。当日、光GENJIは上野を17時発の電車で仙台に移動して生放送の「ベストテン」に出演するスケジュールだから大変だった。11時からミニコンサートを開始し、3回のコンサートが終わると機材車で移動し、上野で貸し切りの車両に無事に乗せた。

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