2015年、ローラースケートの体験会開催のためイスラエルとパレスチナを訪問
2015年、ローラースケートの体験会開催のためイスラエルとパレスチナを訪問

「ローラーゲーム復活だと、何度聞かされたかわからない」

「ここまで生涯をローラースケートに賭ける人、いないですよ」

 小泉を知る人たちは皆、同じようなことを言うが、彼が今、狙っていることを聞くと納得させられる。

「アマチュアの団体の役員もされていて、28年ロス五輪での公開競技入りを目指したロビー活動を、これだけ幅広くされている人はいません。小泉さんの夢は止まらない」(元後楽園ローラースケート場主任・小林澄夫)

「近いうちに米国開催の五輪があると考え、それに合わせてローラーダービー(ローラーゲーム)を公開競技にしようと、16年から仕掛け始めました。3月にロサンゼルスでローラーゲームの日米対抗戦を開催し、11月にもサンタモニカでローラースケートのイベントを開きました」(小泉)

 小泉はその後もいろいろなロビー活動を考えていたが、そこにコロナ禍が襲い、運動はブレーキをかけられた。

■五輪競技なればメダル獲得狙う

 ローラーダービーは15年にワールドスケートというスケート競技の世界大会の新種目になり、16年大会には日本女子チームが、18年大会には日本男子チームが出場していたが、コロナ禍により20年大会は行われず、22年大会は行われたもののコンタクトスポーツのローラーダービーは行われなかった(今年9月に行われる予定)。

 それでも、小泉は止まらない。今月21日には福岡・博多駅前広場でスケートボード大会を主催。さらに25日から4月2日には沖縄・豊見城のショッピングモールでスケートボードとローラースケートの体験会を開く。

「九州・沖縄から五輪選手を育てよう、という催しです。九州には三十数年前に『よかトピア』と『スペースワールド』で関わった連中がいますし、四十数年前に沖縄のスケート場で出会った子たちは皆、社長になっています。彼らに『あの頃の思い出を、今いる子たちにも体験させてあげようよ』と言うと、『やりますよ。俺たちがやらなきゃいけない』と答えてくれてね。そこで『まずは連盟を作れ』と。そういう形で各地に連盟を作っていきました。ロス五輪の公開競技の候補は今年、決まるはずです。万が一、念願がかなえば、僕の下にいる若手の連中がメダルを獲りに行きますよ」

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