写真展開催中、児玉さんは来場者から矢継ぎ早に質問され、戸惑った。
「例えば、『ロシアの人たちはどう思っているんですか?』と、聞かれた。この戦争について、疑問に思ったことをウクライナを訪れた人に聞いてみたいという気持ちは分かります。でも、ぼくは自分が見たこと、聞いたことしか話せない」
さらに、ウクライナの人々の気持ちを代弁したり、声を伝えたりすることにもためらいがあるという。
「いくら現地に行っても、分からないことはたくさんある。ぼくは外国人なのでウクライナの人への理解には限りがある。だから、何かわかったような気持ちにはなりたくない。ウクライナの人々に寄り添いたいとか、聞き心地のいい言葉も口にしたくない」
■戦争を自分はどう感じるか?
児玉さんが日本をたったのはロシア軍の侵攻直後の3月1日だった。
「なぜ、ウクライナに行ったのか、よく聞かれました。もちろん、現地の様子を伝えたいという気持ちがあった。でも、ニュース写真が撮りたくて行ったかというと、多分そうじゃない。なんて言えばいいんですかね。『戦争』という言葉は漠然としすぎていて、実際、それはどういうものなのか? そこに行ったら、自分はどう思うのか? どう感じるのか? それを知りたかったという気持ちもあったと思います。すごく自分勝手ではあるんですけれど」
撮影した写真についても、時間をかけて咀嚼(そしゃく)するように見て、自分がどう思うか、知りたい気持ちがあるという。
「だから、かたちに残る写真にしたかった、というのはあるかもしれない。ニュース写真のように速報性が重視される写真ほど消費され、忘れられるのも早いかな、と思いますから。それに、大手メディアと同じことやっても意味がない。なるべくそこから遠いこと、誰も目を向けてないところが見たかったし、気になった」
とはいっても、何か確信めいたものがあったわけではなかった。
「現地に行っても何がしたいのか、ぼんやりしていた。最初はボランティアセンターや病院を取材して、こんな感じかな、あんな感じかなと、いろいろ試行錯誤したんですけれど、もう途中でもう諦めたというか……。でも、ありがたいことに、ほんとうにいろんな人が助けてくれた。それに身を任せて撮影した、という感じです」