児玉さんはロシア軍のウクライナ侵攻直後から5月下旬にかけて2回現地を訪れ、そこで目にした光景をカメラに納めた。目を引くのはテレビや新聞ではほとんど報道されることのない市井の人々の姿だ。
* * *
児玉さんはウクライナで何を感じたのか?
「テレビで見るウクライナって、地図が映し出されて、どこで戦闘があって、アメリカがどのくらいの数の兵器を供与したかとか解説されるじゃないですか。でも、現地を訪れると、ただ悲しい現実があった。どこの国がどんな思惑を抱いているとか、まったく関係なくなっていた。目の前には避難所で生活している人や、薬が足りなくて困っている人がいた。そこにすごくギャップを感じました」
一方、そこで写した写真については、「何を撮りたいとか、確信めいたものがあってウクライナに行ったわけじゃないんです。現地に行って、考えながら写したという感じです」と、率直に胸の内を語った。
■わかったような気持ちにはなりたくない
児玉さんは、4月に一時帰国した際、写真展「ウクライナの肖像」を東京・渋谷で開催した。ロシア軍の攻撃で破壊された街の写真。しかし、展示写真の多くは現地で出会った人々のポートレートやスナップショット。戦時下とは思えない、穏やかな写真ばかりだ。
釣りざおを手に早春の川辺にたたずむ青年、ヘルメット姿でBMX(モトクロス競技用の自転車)にまたがる男性、レストランでくつろぐカップル。バスに乗ろうとする若者を見送る家族……。
そこに写った人々の言葉も添えられている。
<国外へは逃げない。逃げる必要はありますか。ウクライナは家ですよ>
<家族といること、食べ物、水、新鮮な空気。ふだんは考えもしないことがとても大切に思えてきたんだ>
<将来の夢はある。いまは早く戦争が終わってみんなが平和に暮らせるようになってほしいんだ。そのあとで自分の夢をかなえたい>
ウクライナでポートレートを写した理由を児玉さんは、こう説明する。
「きちんと人と向き合って写真を撮り、伝える。それにはポートレートがいいと思いました。撮影の前に必ず話を聞いて、あまり自分の感情を出さずに、淡々と写した。失礼を承知で言えば、『タイポロジー』というカタログ的なポートレートになってしまうんですけれど、そこに何か、小さなズレみたいなものが写るんじゃないかな、と」
確かに、そこに写る人々の姿と、言葉の間にはズレというより、落差を感じる。いま、ウクライナでは総動員令が敷かれ、18~60歳の男性は出国が原則禁じられている。彼らもいずれ戦闘地域に赴くことになるかもしれない。