しかしラビン首相の暗殺は和平プロセスの継続を止め、イスラエル入植地はパレスチナ西岸地区のすべてから撤退したわけではありません。 暗殺翌年の1996年には、ラビン首相の政策に反対していたリクード党のベンヤミン・ネタニヤフ氏が首相に選ばれ、パレスチナ人との交渉はほぼ停止しました。 ラビン首相暗殺以後、イスラエルの指導者の中に、パレスチナ人たちと地域の政治的変化を始めるのに十分な能力と勇気を持ったリーダーはまだ出てきていません。

 それでもイスラエル社会では、ラビン首相の記憶を生かし彼が払った犠牲を認めようと、学校教育のカリキュラムのなかで、1995年以降に生まれたラビン氏を知らない世代も、「市民権」の授業の一環として彼について学びます。また、ラビン首相に捧げられた公式の記念日もあります。

 日本に話を戻すと、ここ数日で私が話した日本人は、いまだに安倍元首相暗殺に混乱しているようで、この意味と、それが日本社会に及ぼす影響の可能性を完全にはまだ理解していないようにみえました。その意味を理解するのにはおそらく時間がかかると思います。 私は、今回の悲劇的な暗殺が、日本のとくに若い世代が政治に興味を持ち、彼らが日本の市民社会にもっと積極的に関わっていこうとする必要性を促すきっかけとなることを願っています。なぜなら政治は人々の日常にあまりにも重要で、職業的な政治家や急進的な人々だけに任せることはできないからです。

○Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大人文学部長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?