2020年10月、イスラエルのイツハク・ラビン首相暗殺25年の追悼イベントでろうそくを灯す、ラビン首相の娘・ダイラ・ラビン氏(ロイター/アフロ)
2020年10月、イスラエルのイツハク・ラビン首相暗殺25年の追悼イベントでろうそくを灯す、ラビン首相の娘・ダイラ・ラビン氏(ロイター/アフロ)
この記事の写真をすべて見る

 安倍晋三元首相が銃撃、殺害された事件は世界各国で報じられ、イスラエルでも衝撃をもって伝えられました。イスラエル・ヘブライ大学のニシム・オトマズキン教授は、「27年前にイスラエルで起きたラビン首相暗殺事件を思い出した」と言います。AERA dot.コラム「金閣寺を60回訪れたイスラエル人教授の“ニッポン学”」。今回はラビン首相暗殺事件について。

【写真】27年前のラビン首相暗殺事件

*  *  *

 安倍晋三元首相の事件の衝撃は、イスラエルのメディアでも広く伝えられました。イスラエルのテレビや新聞は、安倍元首相の「暗殺」を、長い時間と紙面を使って大きく扱いました。 ちょうど日本にいた私も、母国のメディアから一日に数回もインタビューを受けました。イスラエル市民にとっても大きな悲劇であり、大きな損失と見なされ、この事件が日本の民主主義の将来に与える影響を懸念しています。

 安倍元首相が銃撃されたという一報が流れたとき、私は神戸市にいました。「今の日本でこんなことが起こるのか」と、とても驚きました。 このニュースを聞いた直後、私の心は27年前の1995年、イスラエルのイツハク・ラビン首相(当時)がイスラエル第2の都市テルアビブで暗殺された日の記憶に戻りました。私はこの日をはっきりと覚えています。多くのイスラエル市民が混乱し、怒り、悲しみを感じた日です。

 私は、安倍元首相とラビン首相の二つの暗殺を振り返り、イスラエルと日本における反応について、私見を述べたいと思います。

 ラビン首相は、パレスチナ人との和平を市民に促すための大規模な集会に参加していた1995年11月4日、テルアビブの中心部で暗殺されました。ラビン政権は、1993年にオスロ合意に調印し、西岸地域のイスラエル入植地の撤退と、最終的に独立したパレスチナ国家の建設を含む和平協定交渉をしている最中でした。「大イスラエル」と呼ばれるイスラエルの領土思想が終わることを想像できなかった急進右派の入植者を含め、イスラエル人の多くはパレスチナ人との交渉に反対していました。 当時の政治的言説は暴力的で攻撃的であり、ある人々はラビン首相を「裏切り者」と呼びました。

次のページ
若者は街頭に出て、何日も議論した