車いす姿で記者の質問に答える谷垣氏
車いす姿で記者の質問に答える谷垣氏

 これらの発言について、安倍首相はいったん「事実であるとすれば大変遺憾だが、党の正式な会合ではなく、有志が集まった会合だ」として問題視せず、「その場にいないにもかかわらず、その方に成り代わって勝手におわびをすることはできない」と謝罪も拒んだが、批判が収まらず、谷垣禎一幹事長は木原青年局長を更迭し、発言した衆院議員を注意。その後、安倍氏が、谷垣氏と会談した際に「沖縄の方の気持ちに反する発言があったことは極めて遺憾だ」と語ったのは、恐らく谷垣氏から問題を認めるよう促されたからだろう。

 余談だが、谷垣氏が2016年に自転車事故を起こし、幹事長を退任したことは、その後の安倍自民党のありように大きな影響を与えたと筆者は考えている。谷垣氏が幹事長を続けていれば、その後に発覚した森友学園や加計学園をめぐる問題は違う経緯をたどったのではないか。疑義が持たれた安倍氏は「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と強弁し、問題をエスカレートさせたが、谷垣氏が幹事長であれば、文化芸術懇話会の問題が起こった時のように安倍氏に言い含め、問題を最小限に抑えていたと推測する。

 余談を重ねれば、私は常々、「谷垣氏のパラドックス(逆説)」を唱えている。“モリカケ桜”など、安倍政権で何らかの問題が起き、内閣支持率が低迷すると、「いま、谷垣さんがケガをせずに、現役で活躍していたら『谷垣首相待望論』が出て、谷垣政権が誕生していたのに……」という声を自民党内から何度も聞いた。しかし、そのたびに、取材相手に「それはあり得ないですよ」と言い続けた。

 先に書いたように、谷垣氏が幹事長を続けていれば、安倍首相に助言し、安倍氏もそれを受け入れ、問題はそう大きくならず、支持率低下も一時で済んだはずだ。そうなれば、結果的に谷垣首相待望論は起きえない。一方、谷垣氏が野党自民党の総裁時代には、支持率がさほど上がることはなかったし、いざ政権復帰が確実視される段階になると、谷垣氏は総裁選撤退に追い込まれた。政界の誰もが認める人柄の良さゆえに、首相の座が遠かったのかもしれない。

《『自民党の魔力』では安倍1強時代をはじめ、選挙で勝ち続ける自民党の強さの秘密を詳述している。》

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