安倍晋三元首相と自民党幹事長を務めた谷垣禎一氏
安倍晋三元首相と自民党幹事長を務めた谷垣禎一氏
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 史上最長政権を築いた「安倍政権」とは何だったのか。安倍元首相の急逝を機に、その足跡に再び注目が集まっている。『自民党の魔力』(朝日新書)を著した朝日新聞記者の蔵前勝久氏は、安倍政権の運営には、2014年9月から約2年にわたって自民党幹事長を務めた谷垣禎一氏の存在も重要だったとみる。谷垣氏は16年の夏、ロードバイクで転倒して頸髄損傷の重傷を負い、幹事長を退任。蔵前氏は、谷垣氏の不在がなければ「その後に発覚した森友学園や加計学園をめぐる問題は違う経緯をたどったのではないか」と明かす。『自民党の魔力』から、一部を抜粋して解説する。(文中の肩書は当時のもの)

【写真】事故から回復して記者の質問に答えられるようになった谷垣氏の姿

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「安倍1強」と呼ばれた第2次安倍政権では、安倍晋三首相に対する批判が党内から消えた。しかし、菅政権を経て誕生した岸田文雄首相の下では首相への批判が相次いでいる。

 それは岸田首相が、官邸主導の政策決定を切り替えようと「政高党高」の方針を掲げ、政府側の意見だけでなく、党側の意向も重要視する姿勢を示しているためだ。岸田氏は意識的に政府と党の分立を図っているのである。

 仮に岸田氏が、小泉純一郎元首相や安倍氏のように官邸主導で政権を運営しようとすれば、選挙の公認権などを使って、党内の異論をたやすく封じ込めることはできるだろう。つまり、永田町での自民党の特徴は、首相である総裁や、幹事長などの党幹部が圧倒的な力を持つ権力集中型の構造であり、岸田政権でも何ら変わっていない。

 権力集中型の特徴がくっきりと表れた第2次安倍政権下の政治状況では「安倍カラー」の強い意見への許容度は高かったが、政権の意に沿わない考えは封殺されていた。象徴は2015年6月25日の会合をめぐる二つの出来事である。

 一つは安倍氏に近い自民党議員による勉強会「文化芸術懇話会」でのことだ。勉強会の代表は安倍氏に近い木原稔党青年局長が務めた。この日の初会合には、いずれも安倍氏側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一党総裁特別補佐ら約40人が出席した。

 参加した議員からは「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。経団連などに働きかけして欲しい」「青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」と政権に批判的な報道機関への「兵糧攻め」を求める声が上がった。講師として招かれた作家の百田尚樹氏からは「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」などと語った。

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安倍氏は谷垣氏の助言は受け入れていた