東京をライバル視する関西の象徴が阪神だろう。村山実は長嶋が巨人入りした翌年の1959年に阪神入りした。契約金は巨人が推定2000万円を提示したのに対し、阪神は推定500万円だったという。それでも兵庫出身の村山は迷うことなく阪神を選んだ。同年、天覧試合で長嶋にサヨナラ本塁打を打たれたが、村山は「あれはファウルだ!」と言い張った。後輩の江夏豊はそのフレーズを5回や10回どころか100回以上聞いたそうだ。それだけ「打倒・巨人」に対する思いは強かったのだろう。巨人戦の成績は39勝55敗、勝率.415だった。
54年、中日は巨人に対して14勝12敗という成績だった。そのうち杉下茂が11勝をあげた。そして中日は悲願のリーグ初優勝・日本一を遂げる。「球が止まって見える」と語った打撃の神様・川上哲治が杉下のフォークに対しては「捕手が捕れない球を打てるわけがない」と言ったそうだ。この54年は32勝、防御率1.39、勝率.727、三振273、完封7。史上8人しかいない「投手五冠」に輝いている。巨人戦の成績は38勝43敗で勝率.458だった。
巨人戦35勝31敗、勝率.530の星野仙一は巨人への入団を熱望していたが、ドラフトで巨人は島野修を指名した。そのとき「“星”と“島”を間違えたんじゃないか」と激怒した。その後、中日で「打倒・巨人」に燃えることになる。81年、星野と小松辰雄はどちらが巨人を先に完封できるか競争していたという。そんな状況下で、あの珍場面が生まれた。平凡な飛球を遊撃・宇野勝がまさかのヘディングで落球し、星野はグラブを地面にたたきつけて烈火のごとく怒った。指導者としては2013年、楽天の監督として原巨人を破り、初の日本一に導いた。
阪神の村山実は「俺のライバルは長嶋茂雄。お前のライバルは王貞治だ」と江夏豊に語ったという。巨人戦は35勝40敗、勝率.467。プロ2年目の1968年、西鉄(現・西武)の稲尾和久のシーズン353三振を奪うチャンスが訪れた。「354個目は王さんから奪う」と公言し、実際に王から三振を奪い、意気揚々と引きあげると、辻恭彦捕手が「いまのは353個目だぞ」と指摘。その後、江夏は後続打者をゴロやフライで打ち取り、一巡させて王から354個目も奪った。王との通算対戦成績は、258打数74安打、打率.287、三振57、本塁打20。王が最も本塁打を打ったのは江夏からだったが、最も三振を奪われたのも江夏からだった