直後、帝京のエース・芝草宇宙(元日本ハムなど。現帝京長岡監督)が一塁手の大井剛に近づくと、ミットの中にそっとボールを入れた。
「別に(隠し球で)引っかけるつもりはなかったけど、1回余裕を持とうと思いました」(芝草)。
大井も「ボールをミットの中でモゾモゾさせてしまったので、一塁コーチにバレたかと思った」そうだが、一塁コーチは同点の走者が出たうれしさから、バッターボックスのほうを見ていたため、2人のやり取りに気づかなかった。さらに古屋文雄監督も勝負どころで代打を出そうとベンチ内を見回していたため、これまた気づかない。
そして、「どうしても1点を取りたかったので、二塁に行くことしか頭になかった」という滝沢がリードを取ろうと一塁ベースを離れた瞬間、大井がすかさずタッチして“隠し球アウト”が成立した。
チャンスが一転2死無走者となった横浜商は、ここから連打で一、三塁と最後の粘りを見せたが、隠し球さえなければ、この時点で同点に追いつき、一打逆転のチャンスだったのだから、本当にツキがなかった。
芝草は最後の打者・中川康之を一ゴロに打ち取り、1対0でゲームセット。隠し球でピンチを救った大井は「あれがなければ1点取られてましたね。今思うとゾッとします」と試合終了後になって、冷や汗を流していた。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。