「こういうことが起こったら面白いのに」「こういうことをズバッと言ってくれる人がいればいいのに」といった視聴者の下世話な願望に見事に応えてくれる。彼が人気者になった最大の理由はこの点にある。

 有吉にそれができるのは、前述の通り、一度目のブレーク後に仕事がなくて家に引きこもり、ただテレビを見続ける毎日を過ごしたからだろう。日常でさまざまな不満や不安を抱えながら、ぼんやりとテレビを眺めているわがままで移り気な視聴者の心理を、彼は誰よりも知り尽くしている。

 有吉は毒舌キャラではあるが、無理に誰かを悪く言おうとしているわけではない。彼は常にテレビを見ている側の目線に立ち、彼らにとって深く刺さる言葉を選んでいるにすぎない。

 ただ他人を悪く言ってもそこに笑いは生まれない。批評性のある毒でなければ意味がない。人の心を揺さぶるにはどういう斬り込み方をすればいいのか、ということを的確につかんでいるのだ。

 テレビに出ることを生業としているタレントにとって、テレビ番組に出るという体験は、その一回一回が人生が懸かった大勝負である。しかし、一介の視聴者にはそんなことは全く関係がない。テレビを見る人にとって、テレビの中で起こっていることは、自分の部屋のリビングの片隅に置かれているテレビモニターの枠の中だけで完結している、ささいな日常の一部でしかない。

 だからこそ、普通の視聴者はテレビを見ていて面白くなければ「面白くない」と言うし、テレビであまり見なくなった人は「消えた」と思うし、消えた人がまた出ていれば「消えたのにまた出ている」と感じる。そこには一切の配慮も気遣いもない。視聴者とは本来、そのぐらい冷淡で残酷なものだ。

 有吉が持っているのは、その「普通」の感覚である。日常で楽しいことが何もなく、夢も希望もない日々の中で、表面上はやたらとキラキラしたテレビの世界を恨めしそうに眺めている一般人の目線。それが有吉の目線なのだ。いわば、有吉は自身が芸能界の中にいながら、芸能界を外から、いや、下から見ている。いつでもそのポジションに立てることが彼の強みだ。

 テレビタレントとしての有吉のもう1つの特徴は、自分から何かを発信するタイプの芸人ではない、ということだ。

 有吉には思想的なバックボーンが何もないし、世の中に伝えたいことがない。そもそも自分から動いたり何かを発したりすることに異常な警戒心を持っている。猿岩石を解散してピン芸人になってからも、ネタを作ったりライブを主催したりするような主体的な活動は一切していない。

 萩本、たけし、さんま、ダウンタウンといった過去の「天下人」に比べると、有吉は仕事の中で自分の個性を強く出すタイプではない。しかし、番組ごとに与えられた役目を正確に把握し、その中でよく笑い、楽しげな姿を見せる。その点にかけては天才的である。

 有吉はいつでも他人の言動を糸口にして、そこから笑いを生み出していく。いわば、相手の力を利用する合気道のような芸だ。有吉自らが相手に技を仕掛けることはない。

 彼が常に意識しているのは、テレビのスタッフが何を求めているのかということだ。それに対応して自分のスタンスを決めて、本番に臨む。前人未到の全局制覇を成し遂げようとしている「令和のテレビ王」有吉は、スタッフと視聴者からのニーズに応える職人気質のテレビ芸人なのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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