開催中の「オタール・イオセリアーニ映画祭~ジョージア、そしてパリ~」では劇場初公開を含む21作品が上映されている
開催中の「オタール・イオセリアーニ映画祭~ジョージア、そしてパリ~」では劇場初公開を含む21作品が上映されている
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 ジョージアに生まれた映画監督、オタール・イオセリアーニの映画祭が開催中だ。イオセリアーニ監督の作品とジョージアについて、ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使が語った。AERA2023年3月6日号から。

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 ジョージアの首都トビリシに生まれ、父の日本留学及び仕事の関係で、4歳のときに家族で日本に移り住んだ。駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバさん(34)がオタール・イオセリアーニ監督(89)の作品を初めて目にしたのは、早稲田大学に通う学生だったとき。東京都世田谷区の名画座、下高井戸シネマで「歌うつぐみがおりました」(1970年)を観て、ファンになった。

「主人公と自分を重ねて観ていました。何に一生懸命になって取り組めばいいのかがわからない当時の自分と、主人公が似ているような気がして、共感しました。繰り返し何度も観て、DVDも買ったんです」

 その後、現在開催中のオタール・イオセリアーニ映画祭で上映されている「四月」(62年)、「落葉」(66年)といった作品を立て続けに観たという。

 オタール・イオセリアーニ監督は、1934年にジョージア(旧グルジア)に生まれ、50年代後半から映画製作を行うも上映禁止などの制限を受け、79年にフランスへ渡り、拠点をパリへと移した。そのため、日本でも「素敵な歌と舟はゆく」(99年)、「月曜日に乾杯!」(2002年)、「汽車はふたたび故郷へ」(10年)といったフランスに移ってからの作品で名を知られている。ジョージア国内でも知名度はあるが、「フランスの映画監督」のイメージが強いという。だが、レジャバさんは初期の作品にこそ、「監督の心が凝縮された形で表れている」と感じた。

■祖国がなくなるかも

「ほかの芸術家にも言えることですが、芸術家として芽が出始めた頃の作品はどこか純朴な感じもあり、作り手の感性が凝縮され表現されていると感じます。キャリアを積めば積むほど高度な技法は身につくけれど、同時にテーマも抽象的になっていく。初期の作品の方が、イオセリアーニ監督の言いたいことがそのまま反映されているのではないか、と私は感じました」

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