これを機に、孝雄さんは里英さんと暮らし始めた。
「一緒に暮らしてみたら、里英もわがままが出てきて、ちょくちょくけんかするようになりました。たとえば、ちょっと気に入らないことがあると『大阪、つまんない、新潟に帰ろうかな』とか言うんです。こちらからすると、大阪に出てきたいと言うから、仕事を見つける手伝いをしてあげて、部屋まで借りてやったのに無責任な、と腹が立つ。『君の言っていることは道義に反する』と説教すると、いやな顔をするだけで、絶対に謝らない」
そんな里英さんの態度に不満はあったが、仲のよいときはそれなりに楽しく過ごせる。なんとなく日々が過ぎていくうち、里英さんが妊娠。まだ籍は入れていなかったが、これで別れる選択肢はなくなった。
「子どもが産まれて、里英は初めての子育てにいっぱいいっぱいになっていました。とくに、子どもを寝かせたり泣きやませたりすることができずに困っているようだった」
孝雄さんにとって、子育ては2回目。子どもの扱いには慣れている。それゆえ、里英さんに「こうしてみたら?」とアドバイスをしていたが、里英さんはかたくなに自分のやり方を通そうとした。
「僕が『貸してみろよ』と子どもを抱くと、あっさり寝てしまう。簡単なことです。僕は子どもが何を欲しているか考えて、たとえば今はおむつがぬれているから泣いているのだと見極めて対応していた。里英は、自分が母親で子どもは母親がいちばんなのだから、抱けば泣きやむはずだとして、おむつがぬれているのに抱いて廊下をゆらゆら歩いたりしていた。当然、子どもは泣きやまないわけで……。僕のほうが子どもをうまく扱えるのが里英には気に入らないようでした。プイッと横を向いて、不機嫌な顔をしていました」
そんなある日。新潟からいきなり、里英さんの父親とその妻(里英さんにとっては義理の母親)が訪ねてきた。
「休日の夜8時ごろ、突然、玄関のチャイムが鳴ったんです。里英と子どもは寝室で寝ていました。誰だろう、と思って出てみると、里英の両親で。ピンときました。これは里英と子どもを連れて帰ろうとしているな、って……」