結局、里英さんは孝雄さんの助言に従い、すべてをリセットして、新潟県の実家に帰ることになった。

「僕の言うとおりにしたら、うまくいったと、喜んでいました。そのころから、なつかれているな、と感じ始めました(笑)」(孝雄さん)

 その後、里英さんは「人生をやり直すために」新潟でも東京でもない、どこか別の場所で暮らしたいと言い、孝雄さんの暮らす街に越してきた。保育士という資格を持っていたので、全国どこでも仕事は見つかった。孝雄さんは里英さんに元妻や子どもの存在は伝えていたが、里英さんは特に何も言わなかった。

「まったく見知らぬ土地ですから、心細いだろうなと思って手頃なアパートを探してあげて、初期費用も僕が出しました。まあ、付き合い始めたということになりますね」(孝雄さん)

 里英さんは仕事を見つけて働き始め、孝雄さんは彼女のアパートに通う生活がスタートした。子どもには父として責任を果たす。元妻には、子どもの母として接する。里英さんには、彼氏として誠意を尽くす。孝雄さんのなかで、この3つは何の矛盾もなく自然な形で成立していたという。

「これは里英にもよく言われるんですが、僕は普通の人とは考え方が違うらしいです。元妻にも彼女ができたことを正直に話したのですが、今思えば、これは元妻にとっては気に入らなかったんでしょうね……」

 すでに離婚は成立していたが、元妻の方は孝雄さんとはまだ「夫婦」のつもりでいたようだ。里英さんという新しい女性ができたことで、孝雄さんをなじったという。しかし、孝雄さんには、何が悪いのかわからなかった。「だって、離婚しているし、元妻と男女の関係もない」。里英さんとの関係を解消する気はなく、交際を続けた。

 子どものために同居しているというのに、子どもの面前でのけんかが絶えなくなり、元妻とは同居を解消した。元妻は子どもを連れて実家に帰ったが、子どもを孝雄さんに会わせようとせず、孝雄さんは今に至るまで子どもに会えていない。

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突然訪ねてきた義父とその妻