
それに、兄弟子と仲良くしていたらしていたで、周りからその兄弟子が「下っ端にナメられている」「下に見られている」と受け止められてしまうからね。それでも俺がいた二所ノ関部屋はまともな方で、ほかの部屋はもっとひどかったんじゃないかな?
二所ノ関部屋の大横綱の大鵬さんが下っ端に怒ったり、理不尽なことを言っているのを見たことがないし、当時の親方の佐賀ノ花さんは関取衆に「いいか、お前たちがいい恰好できるのは、付け人が『関取、関取』と言って立ててくれるからだ。だから周りの人も特別視してくれるんだぞ。それを忘れるな!」と厳しく言う方で、そう言われたことを俺もずっと覚えているよ。それほど先進的な考え方をする人だった。今の親方衆やお偉方でも佐賀ノ花さんのような考え方をしている人はほとんどいないだろう。俺は本当にいい勉強をさせてもらった。
そんな先進的な当時の二所ノ関部屋でいつも怒っている人と言えば、俺がこの連載でよく話題にする大文字関だ。あの人はとにかく口やかましかったね。そうめんの茹で加減が気に入らなくてよく怒られていたよ……。この大文字さんと坤龍 さん、黒鷲の東さんの三人が怒っている人トップ3だ。このトップ3は、部屋の空気を乱したり、躾がなっていない若い衆には本当にうるさかったね。ただ、怒る理由もまっとうだから俺たちも納得していたし、普段はフランクな人たちなんだよ。ただ、フランクだと思ってこっちがその気になって接すると「ガツン!」とやられるから、そのさじ加減や距離感が難しかったけどね(笑)。
そんな相撲時代を過ごしてきたお陰か、プロレスに転向してからは上の人に怒られた記憶はほとんどないね。唯一、ジャイアント馬場さんに怒られたのが、俺がアメリカ修行に行っていたアマリロでデビューしたときのことだ。全日本プロレスで海外でデビューする若手の決まりなのか分からないが、俺のデビュー時に、馬場さんがかつてアメリカで着ていた着物生地のガウンを着ることになっていたんだ。ジャンボ鶴田も着ていたそうだよ。