
50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「怒られたこと・怒ったこと」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。
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相撲時代は「いつ怒られるか?」という不安と常に向き合っていたよ。朝起きてまず「今日はいかに怒られないように過ごすか?」を考えるのが日課だった(笑)。それだけなにかにつけて怒られていたね。というのも、俺がいた当時の相撲部屋は「深呼吸したのが気に食わない!」「箸の上げ下げが気に入らない!」というだけで兄弟子たちから怒られて、平気でケツバットやら、腕立て伏せの姿勢のまま30分とか、1時間正座をさせられたりと散々だった。まさに「無理偏にげんこつと書いて“兄弟子”と読む」だったよ。面倒くさい兄弟子に目をつけられたら毎日大変だ。
かくいう俺も、自分の財布が無くなったことがあって頭に来て、下っ端のヤツ全員に腕立て伏せをさせたこともある。相撲部屋は稽古中は開けっ放しで、力士はみんな稽古場にいるから、外部の人間も入り放題なんだよ。だから、下っ端の誰かが犯人と決まった訳ではないんだが、まあ、腹いせだ(苦笑)。
そんな理不尽なことをされても、兄弟子に歯向かうには“髷(まげ)を切る”くらいの覚悟が必要だ。俺も兄弟子に爆発寸前までいくものの抑えられたのは、2年、3年と相撲の世界にいると誰でもその仕組みに組み込まれて、反発できなくなってしまったからなんだ。当時の相撲取りなんて、田舎で暴れていて喧嘩ばかりしていたような連中だ。そんな連中が大人しくまとまるためには、相撲界の理不尽な仕組みが必要だったんだろうね。まあ、俺はその中にあってかわいいもんで、ペルシャ猫みたいにしていたよ。