一方で、ボードワン国王の葬儀の際は、私的な旅行という形式がとられた。それまで天皇が王室や元首の葬儀に出席したことはなかった。家族ぐるみで親しい交流が続いたボードワン国王の葬儀が、例外だったのだ。
侍従長を務めた故・渡邉充さんは、筆者にボードワン国王と皇室の関係をこう話してくれたことがある。
「国王は穏やかな方だったと聞いております。陛下とはお人柄も合ったのではないでしょうか」
ひと口に「親しい交流」といっても、その温度感は王室によって違う。
たとえば、天皇や皇后に直に電話をかけてくる王室もある。
ベルギーもそうした王室のひとつであったようだ、と多賀敏行・中京大学客員教授は言う。多賀さんは、平成の天皇に侍従として仕えていた。
「公務や宮殿行事のない静かな日曜日。天皇陛下のご用事でおそばに上がると、前触れもなく陛下が、海外の王室事情について教えてくださることもありました」
ベルギーは、フラマン、フランス両語系住民の対立の絶えない国だった。そうしたなかにあって、ボードワン国王は連邦制に移行した国内の統一に努め、その象徴として国民に親しまれた人物であった。そうした背景を踏まえてなのか、明仁天皇が、
「ベルギーの国王は、『ベルギー国の王さま(King of Belgium)』と言われるより、『ベルギー人の王さま(King of the Belgians)』と呼ばれる方が嬉しいそうですよ」
そう、ニコニコしながら欧州の王室事情について、話をしてくれることもあったという。
「お話しをしてくださる陛下のご様子は、いきいきと楽しそうでした。ベルギーの王室の方と、お電話などでお話しをなさったばかりなのかな、と当時は感じたものでした」(多賀さん)
Queenと名乗る
女性からの電話
こんなこともあった。
1995年の1月には、両陛下の住まいである御所の電話が鳴った。外部からの電話は、侍従や女官が待機する部屋にまずかかる。侍従の多賀さんが受話器を取ると、電話会社の女性オペレーターはこう告げた。