元々、少女小説が好きですが、自分が10代の時に、映画じゃないんですけれど「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー監督)みたいな気持ちがあって。学校の先生が話す言葉も「私たちをうまいこと、従わせたいだけじゃないのかな」みたいな感情や、大人への不信感がすごくあったんですね。「大人=(Near)社会」なんですけれど、大人の欺瞞をちゃんと問い立てしてくれるのが、10代向けの小説でした。私は、それにすごく助けられてきたところがありました。

 10代20代の子にとって本選びって難しいと思うんです。途中でヤングアダルトという、大人と子供の中間の小説があって、でもその次に読む本が分からなくなってしまう。いきなり、大人の物語に入るようになりがちかなと思うので、そこをうまいこと渡せる、中間に所属できるような小説を書きたいと思っていました。今回のこの3作品で、それを実現できたかな、と思います。

――泉さんがすごく魅力的だと言ってくださっている読者が多いです。ぜひ小説に書いていない泉さんのことを教えてください。

 泉っていう男性のキャラクターはいつも、同じ黒い服を着ている設定なんですけど、多分あの黒い服はめちゃくちゃいい服です(笑い)。肌触りや質感を、重視するタイプだと思うので。あと、小説自体は あのラストシーンで終わっているんですけど、その後に50代ぐらいの男性キャラクター、日浦さんと泉が唯を介して喋っていたら面白いなということを考えてもいました。お互いがお互いを怪しいと思いそうで(笑い)。

――よく考えたら女子高校生と大人の男性の関係です……

 そうなんですよね。あと、泉は、飛行機に乗れないんじゃないかとか。あんな塊が飛ぶっていうことを信用しきっていないところがあるんじゃないかなと思っていて、飛行機が怖いんじゃないかなという設定も考えていました。

■「自分の味方になってあげる」小説を

――最後に、本作に込めた思いなどを

 絶対、取材とかでも聞かれるんですけど、一番、答えが難しい。小説に全部書いちゃったから、言うことがもう、無くなっているんですけど。

 そうですね、気を付けようと思ったのは、「マイノリティと言われる人たちを主人公に物語を書くときには、絶対にマジョリティのための教科書にはしないでおこう」っていうことです。あくまでもマイノリティの方たちのための小説だと思っていて。

 食べられないっていうような人が身近にいる人もいると思います。そういう場合に、ちょっとだけ優しくなれるというのはあったらいいなとは思うんですけれども、消費されるための題材にしないでおこうというところは決めて書いていました。

 あとは、やっぱり体のことですね。私も肩こりやストレスで、今顔の右側だけ痙攣が起こるようになっています。この2年ぐらいずっとそうなんですけど、笑うと目が攣っちゃったりして、嫌だったんです。でも結局それって、めちゃくちゃストレスを受けているとか、めちゃくちゃ肩が凝っているとか、目を酷使しているとかのサインなんですよね。だから、むちゃくちゃ痙攣しているなと思ったら、きちんと休むようにしています。

 自分の体のことを今後、どう受け入れて生きていくかっていうところ、自分の味方になってあげるっていうこと。自分のことを好きになれたらいいなっていう風に思います。体のパーツを変えようと思えば、変えられるところもあるけれど、もちろん変えられない部分もある。でも、この体で今後何十年間も生きていかなきゃいけないっていうことを考えた時に、やっぱり一番は「自分を受け入れる」っていうこと。そういう風に、この小説を読んでくださると嬉しいなと思います。

(朝日新聞出版/長谷川拓美)

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