※写真はイメージです (GettyImages)
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 一般に、悪いこととみなされがちな物忘れ。だが近年の研究によって、その常識を覆すような事実が次々と明らかになってきている。その一つは、「脳は新たな記憶を獲得するために、古い記憶を積極的に消去している」ということだ。こうした事実を踏まえ、千葉大学脳神経外科学教授の岩立康男氏は、著書『忘れる脳力』(朝日新書)のなかで「忘れることの重要性」を説いている。

 実は、150年前の小説『シャーロック・ホームズ』シリーズの主人公・ホームズが、こうした脳の仕組みを示唆する印象的なセリフを放っている。作者のコナン・ドイルが予見した、忘れっぽい賢者の性質とは? 『忘れる脳力』から一部を抜粋して解説する。

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 物事を非常によく覚えている人と、認知症というわけでなくても忘れっぽい人がいる。学校の試験では多くの場合、記憶の量が問われ、覚えている人ほど良い点数がつく。しかし社会に出てからは、物覚えの良い人がいい仕事をして社会への貢献度が高いかというと、決してそうとばかりとも言えないだろう。

 ちまたには大量の情報を瞬時に記憶する記憶術の講座がたくさんあるが、膨大な量の記憶ができる"暗記マスター"が社会で突出した活躍をしている例をあまり聞いたことがない。むしろ、普段忘れっぽい人の方が、大きな仕事を成し遂げているようにも見える。著名な実業家やイノベーションを起こした方々も、必ずしも博覧強記な人ばかりというわけではないだろう。皆さんのこれまでの出会いの中にも、思い当たる人はいるのではないだろうか?

 忘れっぽい賢人が出てくる象徴的な作品が、100年以上前に生まれている。アーサー・コナン・ドイルの探偵小説『シャーロック・ホームズ』シリーズである。同作の主人公・シャーロック・ホームズは、優れた観察眼と推理力で数々の難事件を解決する名探偵だ。しかし、相棒のワトソン博士はホームズと出会った当初、ホームズのあまりの無知ぶりに感嘆する。彼は、コペルニクスの地動説も太陽系の仕組みも知らなかったのである。

 そしてその知識を教えてもらった後、ホームズはなんと、「そのことは忘れるように努力しよう」とまで言っている。

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コナン・ドイルが予見した脳科学