■実は走攻守そろった選手
中溝さんはタイムカプセルを掘り起こすように、過去の清原関連の記事を読みあさった。当時の週刊誌やスポーツ新聞はもちろん、女子中高生向け雑誌「セブンティーン」の「桑田くんvs清原くん どっちもステキどっちもスゴイ」といった記事まで読破。本人取材を重ねるノンフィクションとは違う、当時の資料に徹底してあたることで、世間に定着している俗説をもう一度洗い直すといったアプローチで本書を執筆した。
「清原さんの魅力って、実は走攻守三拍子そろった選手であることなんです。二桁盗塁を達成した年もあるし、三冠王の落合博満さんも『打撃がやわらかい』と絶賛していました。そして、球場で見ると、清原さんは守備もすごくやわらかいことがわかります」
意外にも、「今のルールでは危険なプレーで禁止」とされる激しい走塁も魅力だった。ホーム突入時のキャッチャーへの体当たり、猛烈なスライディングで二塁に滑り込み野手を吹き飛ばすような「ゲッツー崩し」は、清原の真骨頂だった。
「清原さんの走塁の迫力はメジャークラスでした。(西武時代の先輩の)秋山幸二さんはアスリートとして足が速い選手でしたが、清原さんは野球というスポーツの中で、遠くの席の観客にも気持ちや闘志が伝わる走塁をしていた。それは守備でもバッティングでも同じで、球場で見たらみんなが一発で好きになる選手でした。作家の村上龍さんが、昔広島カープにいた高橋慶彦選手のことを『ファーストベースにヘッドスライディングしてもそれが様になる』と小説で書きましたが、ホームランを打ってベースを一周するとき、清原さんほど絵になる選手はいない。打った後は、ちょっとはにかんでガッツポーズ。その感じがたまらないんですよね。やんちゃな野球少年が憧れのプロ野球で活躍しちゃってる、という感じがありました」
■パ・リーグの歴史を変えた
1980年代中盤、全国区球団となり、新たな球界の盟主になろうとしていた当時の西武には、スーパースターが必要だった。1984年には田淵幸一が引退。その次のホームランバッターとして清原に期待がかかっていた。清原と秋山でONの再来になってほしいという球団の期待に、清原はしっかりと応えたのだ。そして、80年代の後半には西武の黄金時代が到来する。