事実婚を解消した後も、週末は変わらず親子3人の時間を過ごしている(本人提供)
事実婚を解消した後も、週末は変わらず親子3人の時間を過ごしている(本人提供)

 よく、「子どもにどうやって離婚を説明していますか」と聞かれるんですが、子どもはこれまで通り「パパとは日曜日に会える」と思っていて、ショックを受たり情緒不安定になったりはしていません。彼の引っ越し先も家から近いので、気軽に会いやすい場所にいますね。

――寂しさや大変さを感じることはありませんか。

 マイナス面は多分お互いにあまり感じていないですね。私はシングルの方が気持ちが軽いぐらいです。結婚しながらワンオペ育児をしている時は、頭の中で「夫が手伝ってくれた場合」と「手伝ってくれなかった場合」の2パターンを常に考えて動いていました。そして負担の不平等感を常に感じることになる。シングルだと「自分でやる」という一択しかないので、思考回路がシンプルで、私には合うのかもしれないです。

■「お手伝い兼秘書のような存在に」

 もちろん、子どもの将来を考えても、自分でお金を稼いでいかないといけないという責任感は増しましたね。「いざとなれば、旦那が……」と、どこかで主婦という立場に寄りかかっていたんだとも感じます。

 彼に「別居後の生活満足度は何%上がった?」と聞いてみたら、「10%上がった」と言っていて、その半分は睡眠の質が良くなったことらしいです。子どもの声や私が立てる物音で目が覚めてしまうタイプなので、大きな仕事がある日は特に寝つけないのが苦しかったようで、逆に、それでも一緒に暮らしてくれていたことに感謝しなくちゃと思いました。残りの5%は探し物が減ったこと。彼が出しっぱなしにした物を私が片づけていたので、「あれどこいった?」と聞くストレスがなくなったそうです。 

――別居ではなく、離婚だったのはどうしてですか。

 7つ年上の彼は、昭和の環境で育ってきていて、個人の問題というより男性中心の社会構造の問題だと考えていますが、どうしても「女性が家のことを多く担って当然」という意識がありました。彼は外で仕事をして、家で長く時間を過ごす私は、彼のサポート役のようになっていました。そして愛情表現やボディータッチはどんどん減り、やりとりは用件だけになっていく。愛されていると感じないのに、家事育児の負担が多くなり、お手伝いさん兼秘書のような存在になっていました。一方で、結婚しているというだけで周囲からは「愛されて幸せな奥さん」と見られる。そういうことからいったん距離を置きたいと思いました。

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背景に親の熟年離婚…「けんかを見過ごせなかった」