こうした相互理解は、仲間たちの成長につながった。4人とも、製品の不良などを発見すると、自分から進んで沼口さんに報告するようになった。コミュニケーションは簡単ではないが、ひとつひとつの壁を乗り越えていくことで、彼らの内面に自信が生まれたのだと沼口さんは感じた。
「障害がある無しの垣根のようなものは、今はいらないと感じています。一人の人間として接して、どんな伝え方や教え方をすれば良いのか、その人その人に合わせたやり方を見つけていくこと。スタートの位置が人によって違うだけで、やり方を見つければ能力は上がりますし、その後の仕事ぶりや集中力は、知らない人に見てほしいと思うくらいすごいんです。障害者の社員が、今よりもっと仕事の幅をもっと広げられる可能性はあるはず。そうした社員が一人でも生まれるように、僕も教え方の工夫と努力を重ねていきたいと思っています」
前を向く沼口さんだが、かつては別の会社の工場で働いていた。人間関係などに疲れてしまい転職を考えていたが、行く当ては見つかっていなかった。
ちょっとした人生のスランプだったその頃、たまたま目にしたのがテレビ番組で特集されていた、日本理化学工業で働く障害者たちの姿。番組は終わり間際だったが、障害者たちが取り組む作業の精度の高さと、その集中力に目を奪われた。
「職人みたいだ」
その2カ月後、ハローワークに足を運ぶと、美唄工場の社員募集が目に留まった。
「縁を感じましたね」(沼口さん)
新人社員の出社初日の緊張をほぐしたのは、大きな声であいさつしてきた障害者たちの笑顔だ。
あれから5年半。
人間だから、疲れがたまって朝からやる気がいまいちな日もある。仕事を教えた障害を持つ若手が「みんなと同じは嫌」と、職場を去っていったこともあった。すべてが順風ではない。
それでも、裏表がなくいつも元気よく話しかけてくる障害者たちの姿が、やる気のスイッチを入れてくれるのだという。
「この職場で働いて、僕自身も成長させられたと思います」(同)
教えて、失敗して考えて、たどり着いた成功例に新たな「気づき」を得る。自然体で仲間とともに成長していく沼口さんの日常は、現代社会に求められている“多様性”を体現している。(AERA dot.編集部・國府田英之)