マスク:いいね。絶対にその通りだ。いま私たちにあるのは、隠された腐敗だ。
3月26日、ツイッターの前CEOのジャック・ドーシー氏とはこんなやりとりも。
ドーシー:新しいプラットフォームが必要なんだ。それは会社じゃだめだ。
マスク:それはどうあるべき?
ドーシー:それはオープンソースプロトコル(誰でも使える規格)であるべきだ。シグナル(メッセージ送るアプリ)のようにプロトコルが公開され、開発をした財団はそれを所有せず、前進させるだけだ。それは広告モデルを持ちえない。それを持つと、政府や広告主が影響力を持とうとする領域に出てきてしまうから。一元的に管理できるものをつくるとそれが狙われてしまう。これは難しい仕事ではない。ツイッターで起こってしまったことを避けるために、適切にやる必要がある。
マスク:かなり面白いアイデアだね。
ドーシー:取締役会はリスクを回避しようとし過ぎている。あなたを取締役会に加えることをリスクだとみなしていた。それは本当にバカげたことだと思った。逆だよ。我々はもっと議論ができる。
マスク:必ず議論しよう。私はツイッターをより良い方向に向けること、分散化された新しいものを実施することが、価値のあることだと思う。
こうしたやりとりからツイッターの今後の姿が垣間見られるが、マスク氏の一つの問題意識は、ツイッターが恣意的に“検閲”のようなことをやっているという認識だ。自由な言論のためには、ツイッターによる情報の取捨選択はいらない、という価値観があることがうかがえる。
たしかに、自由な言論が重要であることは間違いない。だが、差別や偏見といったヘイトスピーチの類いや、事実ではない発言、偽情報……などが何のチェックもなしに載り、それが拡散されるような事態になることは問題はないのだろうか。
大量解雇後、ツイッター上でユダヤ人に対する差別的な投稿が増えているとの分析を米調査企業が公表したとの報道(朝日新聞)もあり、すでにその兆候が出始めている可能性もある。