金をためだすのもこのためだ。何が何でも実力をつけようという腹だった。京の入り口に関所を作って金をとりたて、それを応仁の乱の最中に東西両軍の大名に貸しつけている。

 ――敵にも味方にも貸すとはあきれた女だ。

 と、彼女の守銭奴ぶりをあざ笑う人もいるが、これはちょっとちがうようだ。

 彼女としては必死なのだ。お金を貸して恩を売り、わが子の味方を一人でも多くふやしたい――おろかな母の一心だった。

 こうして権力と富は、しだいに彼女に集まる。高利貸しでもうけた金で米を買いしめて、さらにボロもうけをしたこともある。

「天下の政治はみな富子の計らいだ」

 と、ある僧侶はあきれて書きのこしている。

 が、富子がふるいたてばたつほど、夫の義政はうんざりしたらしい。

「勝手にしろ。おれは知らないよ」

 とばかり家を出て、さっさと別居してしまった。

 と書けば、いかにも簡単なようだが、これは前代未聞の珍事だった。なぜなら、彼ら上流階級では、離婚とか別居とかは、絶対してはならないことだったのだ。
 が、義政は、そのていさいの悪いことを、あえてやってのけた。よほど富子にがまんならなかったのだろう。しかも自分のほうから出ていったのだから、まわりは目を丸くした。富子がマネービル夫人第一号なら、義政は「夫の家出」第一号だ。

 こうして彼が作った別居先が今残る京都の東山の銀閣だ。われわれは義政の家出という「壮挙」によって、すばらしい文化遺産にめぐまれたのである。

 が、勝ち気な富子はせせら笑っていたらしい。

 ――どうぞ、お好きなように。私には義尚がいますから……。

 が、ああ、またしても彼女は落胆しなければならなかった。そのかわいいむすこは、父親ゆずりの道楽者だったのだ。成人するかしないかのうちに、こともあろうに父の側室に手を出して、はでな親子げんかを演じている。

 しかもこうした乱れた生活がたたってか、義尚自身二十五歳の若さで病死してしまう。残された富子はあとつぎ問題でまたもや、夫の義政と、はでなけんかを演じている。

 そして、しまいには夫に抵抗するために、先に追い出したはずの義弟の義視をよびもどし、その子を将軍にしようとして、妙に力こぶを入れたりした。

 が、義政が死ぬと、それまで鳴りをひそめていた義視は俄然鎌首をもたげはじめ、もう富子のいうことは聞かなくなる。彼の手で屋敷をとりこわされたりして、晩年はあまり幸福ではなかったようだ。

 彼女の死後、莫大な財産が残されたというが、このことは、かえって、人生のむなしさを感じさせはしないだろうか。人間はなんのために、お金をためるのだろう。

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