もう一つの疑問。なぜ、この深刻な病気を宣告された様子をYouTube動画で配信しようと考えたのか。
「自分ではたいしたことがないと思った傷や違和感が大きな病気につながることがある。僕みたいになる前に気づいて病院に行ってもらいたかった。芸人を目指していたぐらいなので顔を出すことに抵抗はない。(医師の)許可を得てYouTubeで流そうと決めました」
宮野さんが左手親指のしこりに気づいたのは高校生の時。「ニキビぐらい」の1センチに満たないデキモノで痛みも感じない。そして、約5年前。友人たちとバスケットボールをした時に親指のしこりにボールが擦れ、かすり傷を負った。
「痛くはないんですが、かさぶたのまま『なかなか治らないなあ』って。その後の生活でも(患部を)あまり意識はしていなかったんですが、(患部が)ズキッとするなと思って町医者に行ったら、紹介状をもらって大病院に行くことになって……」
指にかすり傷の一つや二つ、特に気にならなかったのも仕方がないかもしれない。検査の結果を聞くのは、あまりにもショッキングで想像すらできなかった。しかも、悪性腫瘍が全身に転移していた場合は、片腕切断の手術も断念しなければいけなかった。宣告を受けて転移の有無が判明するまでの10日間。不安で押しつぶされそうになってもおかしくない状況を、どう過ごしていたのか。
「転移の有無の検査結果を伝えられる当日は、呼び出し音が鳴るまでの待機時間で心臓がバクバクしていました。ただ、その間の10日間は友達とよく飲みに行っていて、気持ちが楽になった。芸人の連れが多かったので笑かしてもらいましたね。気づかないうちにメンタルケアをさせてもらいました。生存率半分と聞いても『大丈夫やろ』『死ぬわけではないでしょ』って声を掛けてもらって。死ぬわけないやろって、ポジティブ思考が崩れることはなかったです」
宮野さんは今回の闘病生活で、自暴自棄になったり、悔しくて涙を流したりしたことは「一度もない」と言い切る。もちろん、取材では言語化できない複雑な感情もあるはずだ。ただ、会話していると終始前向きな姿が虚勢であるとは感じない。なぜ、そんなに精神力が強いのか。
「両親の愛情を深く受けて育ったのは間違いないです。反抗期はあったけど、テストの点数が悪くて怒られたことはない。やりたいことを尊重してくれて。あとは(著名人の)名言が好きなんです。孫正義さん、イチローさんの前向きなメッセージを中学、高校のときは読み返して心に染みついて。歌も泥臭くて前向きなザ・ブルーハーツが好きなんです」