彼は、筆者がウクライナ語を話せるのがわかると、「地元の言葉(ウクライナ語)を話すんだな。うれしいよ」と言った。そして私の左手首に、カバンから取り出したミサンガを巻き、ぎゅっと縛った。黄色と青のひもの国旗色だった。ゲーニックさんは「勝つ」と言って、片手のこぶしをあげてみせた。しわの深い顔で、笑ってみせた。「この男は死ぬのではないか」。そんな予感がして、彼のためにもミサンガは当分はずせないと思った。
リビウ駅前は、街灯の多くが消えている。ウクライナは全土で、ロシアに発電所などがミサイル攻撃を受けて節電を迫られ、計画停電を実施中。リビウも例外ではない。
食堂から出た私は、旅行かばんを引きずりながら、バスターミナルへ向かった。足元の道路が真っ暗で見えない。突然、停留所の敷居石につまずいた。転んで、左手と肩に痛みが走った。手首を骨折したか、と思ったが、出血だけですんだ。こんな軽傷でも嫌なものだ。前線の兵士たちの辛さはどれだけのものだろうか。
年始にむけ、ロシアは、ウクライナ市民に恐怖を与えようとするかのように、ミサイル攻撃を激化させた。全土の空襲警報は、年末年始の1週間で298回。大みそかにキーウで日本人記者1人が軽傷を負うなど、多くの市民が死傷した。
ロシア国境から遠いリビウでもこの間、5回、空襲警報が鳴った。
リビウに住む新聞記者は「昼間、買い物中に鳴ったりする。店が閉まるの で、いったん家に戻らざるを得ない。子どもを学校へ迎えにいく。そして、店へ出直す。ちょっとした買い物を済ませるのに4時間かかることがあります」と話す。
「ろうそく」が今、プーチン大統領への対抗策の一つとなっている。私はリビウ市の喫茶店でインタビューを行っていた。突然の停電。すると店主が席を回り、ろうそくを配った。ほの暗い中でも話はできる。市内の有名レストランでは、トイレの電球の代わりをろうそくが果たしていた。「明かりはなくても生きていける」。そんな声も市民から聞いた。
厳寒はどうか。東部ハリキウ州は1月7日、マイナス13度にまで下がった。ウクライナ人の女性教師にオンラインで様子を聞くと、「市内の多くの団地はスチーム集中暖房が効いています。暑いくらいで、半袖の服で過ごしています」と答えた。
彼女は、最後に次のように語った。
「前線の近くの町はもっと状態は悪いかもしれない。それでも暮らしの不便には耐えられる。それより気になるのは、来月、ロシアが再びベラルーシ経由で首都キーウを攻撃するという情報が流れていること。今、母と欧州へ逃げる準備をしています」
岡野直/1985年、朝日新聞社入社。プーシキン・ロシア語大学(モスクワ)に留学後、社会部で基地問題や自衛隊・米軍を取材。シンガポール特派員として東南アジアを担当した。2021年からフリーに。関心はロシア、観光、文学。全国通訳案内士(ロシア語)。共著に『自衛隊知られざる変容』(朝日新聞社)